小津安二郎監督作品 東京暮色について

こんにちは。まだ観ている途中ですが書きます。まず久し振りに小津安二郎を観て思ったのはこの映画で描かれている日本はもう完成に遺産になっているということです。日常会話にしても風景にしてももうこんな日本は何処にもありません。特に日常会話は字幕付きで観ると尚分かりますが店員が相済いませんと言ったりとか挨拶のこんちはやさよならもそうですがこんな会話は今はしません。小津安二郎の映画は公開当時は退屈で変化に乏しいものとされたらしいのですが時代を経た今それは失われた文化としての側面を持っています。確かに公開当時を思えば今の僕達の日常会話を撮っただけじゃないかという意見が出るのも不思議ではありませんが結果としてそれは先見の明があったということです。上の写真は主演の有馬稲子ですがこの写真は妙にインパクトがあります。この「東京暮色」(1957)の写真とは知りませんでしたがずっと気になっていたものでした。そしてあれ前髪があるなと思って小津安二郎が女優の前髪を下ろすのを嫌ったみたいな話を何処かで読んだなと思っていたら蓮實重彦の「監督 小津安二郎」(1983)で触れられていました。この「東京暮色」の有馬稲子と「早春」(1956)の岸恵子だけが例外的に前髪があるようです。色々と前に情報を入れていたので最初のカットがやけに暗いのも気になりませんでした。しかし原節子の娘である道子という赤ん坊の顔に布が覆われているのは流石に気持ち悪かったです。まるで死んでいるようです。そして先の「監督 小津安二郎」で読んだ階段の不在が今回観ていておおそうなっていると感動しました。有馬稲子雀荘から帰ってきて笠智衆と言い合ったあと廊下が映るショットで有馬稲子が少し斜めに画面から消えていきます。それはつまり階段を上がっている訳ですがその階段が映らないのです。少し蓮實重彦に毒されている気もしないでもないですが確かにあれで階段が映らないのは不自然です。蓮實重彦が言うには後期の小津安二郎の映画において2階は25歳の娘の聖域であり日常空間から隔絶された聖域であるようです。まだ途中なので明日また書きます。

20231220

有馬稲子の演技はある種機械的で感情が無いように見えます。それは子どもが出来たことを隠しているからなのですがそれにしても不気味です。しかしそれが却って有馬稲子の美しさを際立たせています。とても魅力的なキャラクターです。今回観ていて登場人物がどうすれば良いのか尋ねるまたはどうしたんだと尋ねるシーンが多いと思いました。それは今回なら笠智衆有馬稲子の心のすれ違いを表しているのだと思いますがかなり執拗に描いています。そして小津安二郎はこの嫁入り前の娘とそれを持つ父親というテーマをこの後も繰り返し描きますがそれは言い方はおかしいですが物語や交わされる会話に最早意味はなく切り返しによって生まれる2人の人間の対立の効果をずっと実験していたような気もします。やはり映画において自分のスタイルを決めることは大切です。僕は今個人的に時間軸を一定にすることに拘っていますがそうなると回想シーンは使えないので登場人物に云わせるか無理矢理するなら登場人物が描いたりして説明するみたいなことになります。それは一見不自由なように見えますがその不自由さの中にこそ自分のスタイルがあるような気がするのです。今最後まで観ました。最後まで観てこの映画があまり評価されていない理由が分かりました。具体的に言うと有馬稲子山田五十鈴に自分が本当は誰の子どもなのか問い詰めるシーンから展開が錯綜しています。有馬稲子の死因もよく分かりませんしその後の展開も間延びした印象を受けました。そして取って付けたようなラストも凄く歪です。何でこんな終わり方にしたのでしょうか。

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有馬稲子の死に方も不自然です。そこの一連の描写を詳しく書くとラーメン屋で有馬稲子が恋人に平手打ちをして出て行きます。その後そこの親父が通りで何かあったと店を出て行ってから場面が病院に繋がるのですがこの当時の列車の速度がどの程度なのか分かりませんが跳ねられたのに普通に病院で熱を測っています。駆け付けた笠智衆原節子も皆あっけらかんとしていて戸惑います。今の列車ならば轢死だと遺体が損壊すると思いますが当時は遅かったのか少し当たっただけなのか分かりません。この時点で僕は事前に有馬稲子が列車で自殺するということを知っていたのでえ何故生きているんだとそして何故熱を測っているのかいう疑問がありました。推測ですが小津安二郎はどうしても投身自殺を入れたかったのですが脚本家の野田高梧がそれは残酷過ぎるからそれを原因とした死に変えたのではないかと思います。また有馬稲子の今際の際の言葉を入れたかったからかもしれません。どちらにしてもその監督と脚本家のすれ違いがそのまま映像となってチグハグな印象になったのだと思います。あとその後原節子山田五十鈴に明子は死にましたと告げるシーンがありますがそれは前半のまだ母親だと知らない時に有馬稲子が兄は死にましたと告げるシーンを再現しています。この辺りはやっぱり凄いです。そしてその時有馬稲子が言えなかった台詞を原節子は言います。凄いです。