最近考えていること

こんにちは。昨日見た夢の話をします。僕は恐らく中学生か小学生くらいの年齢でした。場所は判然とせず恐らく暗い映画館か学校の特別教室のような場所でした。どんな風に座っていたのかも分かりませんがとにかく僕は座っていて前の席に女の子が座っていました。周りには恐らく同級生たちが大勢居ました。僕の視点は膝の上にある自分の手にありました。その時前の席の女の子が僕の手に自分の手を重ねて来ました。でもそれは間違って触ってしまった感じだったのでそのままにしていました。するとその手が僕の手の甲を引っ掻きました。手の甲を爪で引っ掻くと白い線が出来ると思いますが夢の中でその白い線までがはっきり見えました。僕は何故そんなことをするのか尋ねました。女の子は何か言い僕も何か言ってみたいなそんなやりとりが数回ありました。というだけの夢ですが恥を忍んで言うとそれは僕の初恋の人でした。この年齢になってまでそんな夢を見てしまう自分が情けなくも純粋だなと思います。今日起きて数分経ってからそういえばそんな夢を見たなと思い幸せな気持になってすぐに現実との差に落ち込みました。他人の夢の話を聴いていると細かい描写まで覚えている人が居ますが僕の場合はブログに書くために便宜上色々と状況描写をしましたがはっきりと覚えているのは引っ掻かれて手の甲の白い線が見えたことと大勢が集まっている中でその女の子が前に居たこととその女の子と話したことくらいです。何故その女の子だと分かったのかも分かりません。でもその引っ掻かれる感覚や手の温度はリアルに感じました。どうしてこんな夢を見たのか原因は一つしかありません。前日に楳図かずおの漫画を読んだからです。確か昨日子どもの頃なら悪夢を見たかもしれませんみたいなことを書きましたが今でもきちんと夢を見れました。

楳図かずお 神の左手悪魔の右手について

こんにちは。「洗礼」(1974)が余りにも面白かったので続けて読みました。楳図かずおの歴史でいうと「わたしは真悟」(1982)の後に作られたのがこの「神の左手悪魔の右手」(1986)です。文庫本の1巻を読み終わりました。まずタイトルが格好良いです。そして1話から全く先が想像出来ない展開とまるでフェリーニの映画のように夢でも現実でもどうでも良いやという開き直りが読んでいて気持ち良いです。絵は少し崩れています。推測ですがこの頃は相当無理して描いていたのではないかと思います。でもその崩れた絵が逆に夢の不安定さを表している気もします。つげ義春の「必殺するめ固め」(1979)のようにあえてパースを崩して描いていたのかもしれません。女の子の身体からモノが出てくるというのは出産を想起させます。楳図かずおは本当に読んでいて思わず声が出る程に凄いです。まだ1巻しか読んでいないのでこの先どうなるか分かりませんがまさか口裂け女の要素が出てくるとは思いませんでした。これは子どもの頃に読んでいたら間違いなく悪夢を見たことでしょう。どうでも良いことですが最近本を読む習慣が付いてきたのでこれに託つけて小説を読もうかなと思います。

最近考えていること

こんにちは。井筒和幸の「突然炎のごとく」(1994)を観ました。タイトルはフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」(1962)から取ったようです。僕は井筒和幸をあまり観ていないのでよく分からないのですが鬱屈とした感覚が全編通してありました。また62分と短く白黒の映像のせいもあってか自主制作映画のような匂いもありました。最近小説を読まないといけない気がしています。今本当に全く読んでいないので流石にまずいのではないかといや活字は読んでいますが何か小説というアカデミックなものに触れないといけない気がしています。映画は観ていますが小説は映画よりも自分の想像力を使うのでそこの筋肉が衰えていくことを恐れているのかもしれません。他人のブログとかを読んでいると凄い量の読書をしている人が居たりします。最近時間の使い方がマンネリ化していてもっと有効に使うために色々と試行錯誤しなければいけないです。読んでいない小説は沢山あるのですが全て日本の作家なので少し海外の作家で良い人を探してみようかなと思います。

20240424

今日帰りながら久し振りにセラニポージのアルバムを聴いていました。3つ出ていますが「manamoon(まなもぉん)」(1999)「ワンルームサバイバル」(2002)「オチャメカン」(2004)全てそれぞれ良いです。今の僕の気分にとても合っていたこともあります。ちょっとお洒落でダサい歌詞が素晴らしいです。音楽にはこういう力があると思います。疲れている時に心にするっと滑り込んでくる感覚です。有名でないことも良いです。やはり良いものは売れないのです。

楳図かずお 洗礼について

こんにちは。文庫本の1巻を読み終わりました。楳図かずおの歴史の中でこの「洗礼」(1974)は「漂流教室」(1971)の次の作品であり後に「まことちゃん」(1976)「わたしは真悟」(1982)といった作品の流れの中にあります。僕は何故か最初に「漂流教室」を読んで次に「わたしは真悟」を読み次に「おろち」(1969)を読んでから「洗礼」を読んだので時系列がぐちゃぐちゃになっています。相変わらず凄い漫画です。主人公の母親の名前は芦川いづみから来ているのでしょうか。伊藤潤二がよく使っている眼球の光をまばらに散らしたみたいな描き方はこの辺りから生まれたっぽいです。黒沢清がホラー映画はホラー演出よりも怖がっている人間のリアクションの方が怖いと言っていて正にそれを体現したような漫画です。巻末の手塚眞の解説で何となくオチが分かってしまいましたがまああまり関係ない気もします。楳図かずおの漫画を読む時に僕は意外と背景とか周りの効果線に目が行ってしまいます。結構色んな種類の効果線を使っています。人間の頬が赤くなる描き方が今のような頬だけに線を描くのではなく目の横辺りまで線が及んでいて怪我のように見えます。主人公の若草さくらが母親の秘密に気付く場面は非常に理想的なホラー演出です。

20240424

2巻読み終わりました。これ何かに似ているなと思ったらジャウム・コレット=セラの「エスター」(2009)でした。インターネットで調べてみると結構同じことを考えている人が居ました。他にもスティーブン・キングの「ミザリー」(1987)にも似ているなと思いましたが何が恐ろしいかと言うと全て「洗礼」(1974)の後に作られた作品だということです。Yahoo知恵袋によるとウィリアム・マーチの「悪い種子」(1954)という小説が元ネタではないかと言われていますがどちらにしても楳図かずおの後年への影響力は凄まじいものがあります。1巻で母親のいずみがさくらの身体を乗っ取った後に先生に抱き着くシーンがあります。そこで眼球がぐるんと上に向くのですがこれは押見修造が「惡の華」(2009)や「ぼくは麻理のなか」(2012)でよく使っているものです。2巻はもっと凄いです。楳図かずおはやっぱり凄いです。僕は「わたしは真悟」(1982)を先に読んだので楳図かずおは何処までも直接的にセックスを描かずにそれを表現しようとしているんだろうなと思っていたら「洗礼」でがっつりやっていました。最早エロくもありません。ただ恐ろしいというかお花畑のシーンの前に先生の奥さんの陰部をアイロンで焼こうとするシーン辺りからえっ成人の女性の裸を描いているという驚きともうそこまで行くのかという展開の早さに笑ってしまいました。さくらのすることは全て子供じみた言ってしまえば馬鹿らしい小細工なのですがそれが見事に機能してしまう理不尽な世界観は黒沢清の「クリーピー 偽りの隣人」(2016)とかにも通ずるものがあります。悪役のすることが全て上手くいってしまう面白さです。これが少女漫画で連載されていたというのが驚きです。楳図かずおという作家はこんなに凄いものを作っているのにそれが全く僕たちの世代に浸透していません。はっきりと断絶しています。それは多分こういうダーティな作風で子どもにはとても見せられないものだからです。でもそれは何処まで正しいのかなと思います。

20240425

4巻まで読み終わりました。楳図かずおの漫画は大抵終盤の展開が錯綜しますがこれもかなり錯綜しています。オチは素晴らしいのですがそこに持って行く方法が結構強引で3巻から出て来たルポライターなどは話の都合のために作られた感じがあります。しかしそれを補って余りあるラストシーンでした。3巻で一番面白かったのは若草いずみの身の上話で田中絹代をもじった田中絹子という女優を4歳のいずみがわたしはあんなブスじゃないと駄々をこねるシーンです。これは流石に笑ってしまいました。だって物語上別に架空の女優の名前でも良いのに明らかに田中絹代に対する楳図かずおの思いを感じてしまったからです。田中絹代の名誉のために言っておくと別にブスではありません。派手な顔ではありませんが和風美人という感じの朴訥とした女性です。監督の名前も小津安二郎をもじった大津安二郎だったりこの辺はふざけてたのでしょうか。でも楳図かずおが使う登場人物が泣くシーンで両手で顔を覆い「わっ」と泣く仕草は小津安二郎の映画で印象的に使われる泣き方です。だから多分好きなのでしょう。4巻でいずみのばあやが出て来ます。そこでばあやが物語の核心に迫るいずみの医師の話をするのですがそこの演出というかばあやの記憶を辿って回想するシーンなのですがそこでばあやは全て喋り台詞で状況を説明します。かなり変てこなシーンですが個人的に僕は理解出来る気がします。いや間違っていると思いますが多分回想シーンにしたく無かったのではないかと思います。あくまでも時間軸は現在のままでばあやの話によって過去を皆が想像しているという演出にしたかったのだと思います。何故なら過去に戻ると物語のスピード感が損なわれるからです。ラストの台詞は黒沢清の「スパイの妻」(2020)で蒼井優笹野高史に言う台詞とほとんど同じでした。ここまで読んできて黒沢清楳図かずおに多大なる影響を受けていることを感じました。実は今「神の左手悪魔の右手」(1986)を最初だけ読んだのですがこれもかなりやばい感じです。どう考えてもこんな始まり方で話が進むのかというような始まり方でワクワクしています。

マーティン・スコセッシ監督作品 シャッターアイランドについて

こんにちは。スティーブン・スピルバーグの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)を観てレオナルド・ディカプリオ繋がりで観ました。レオナルド・ディカプリオの演技というか顔はジャック・ニコルソンに似ています。鑑賞前にこの映画には秘密があります的な前置きがあったので何となく全部夢かなと思っていたら正にその通りでした。マーティン・スコセッシは「タクシー・ドライバー」(1976)と「ケープ・フィアー」(1991)をTVで放送していたものの最後の方を少しだけ観たことがあります。何故か僕は始めの辺りでマーティン・スコセッシフランシス・フォード・コッポラを混同していてへーコッポラはこんな映画も撮るんだと思いながら観ていました。途中で患者の女が水を飲むときにそのコップが映っていない場面がありました。いやかなり冒頭から明らかに合成の海のシーンがあってまあ前置きもあったし正直すぐに分かりました。最近フェデリコ・フェリーニを観ていたのでそれと比較するとやっぱりフェリーニの方が凄いです。何というかこういう夢と現実が入り混じる映画は正直何をやっても許されるのでその監督の技量が試される良い試験品のようなものだと思います。この映画は色々と良いシーンはありましたがどれも想像の範囲を超えてくるものではありませんでした。フェリーニの映画が凄いのは映像が想像の斜め上を行くところにあります。だから理解出来ないのですがその理解出来ない中に少しだけでも自分と符号するようなものを見つけていくような楽しみ方になります。

最近考えていること

https://youtu.be/7iIwY1gVRqI?si=IYOMvPXfq-ZH1lJQ

こんにちは。上に貼ったのは2020年に行われたKIRINJIの無観客ライブの舞台裏の映像です。僕はこのライブの「killer tune kills me」(2019)が大好きなのですがそこに登場するYonYonと弓木英梨乃が2人で話しているシーン(7分くらい)が非常に良いです。僕が個人的に2人とも好きなこともあります。お互いに探り探りで少し他人行儀な感じが素晴らしいです。何故か唐突にそう思ったのですが女の子が2人で話しているとそれだけで世界が成立するなと思いました。あと今「あずきちゃん」(1995)をまた観ていてあずきちゃんとかおるちゃんの2人のコンビとか今日街で歩いている女の子2人組とかを見てこれは漫画で使えるアイデアだと直感しました。僕が男であることは勿論関係していると思います。何でしょうか男2人組とか男女2人組とかとは全然違うのです。若さも関係しているかもしれません。出来るだけ幼い方がより良いです。物語の進行上女の子の方がよく喋るし感情が豊かだからかもしれません。例えば男2人組の話を考えてみてもその2人の世界から中々抜け出せない感じですが女の子2人組はお互いの世界の外側を開拓出来る気がしたのです。意味分からないと思います。僕も雰囲気で書いているのでまだ明確にアイデアが浮かんでいる訳ではありません。別にレズビアンに興味がある訳ではありません。いや昔から漠然と女の子2人組は面白いなと感じていた気がします。会話が面白いということではなくその2人の関係性が如実に表れるからでしょうか。高橋洋が姉妹を描くのに拘っている話を思い出しました。でも僕の場合は血縁関係の無い他人の女の子同士の方が好きです。何ですかね。分かりません。

今日地震がありました。びっくりしました。でも全然揺れませんでした。でもまだちょっと揺れています。ちょっと怖いです。

最近考えていること

こんにちは。「ラブプラス」(2009)卒業します。理由はきりがないからです。そして今週思う存分堪能してギャルゲーの恐ろしさを知ったからです。でも今少し逡巡しています。心にぽっかり穴が空いたようです。いややっぱり辞めよういややっぱり週に一回だけという揺り返しです。もういっそデータを消してしまう方が良いかもしれません。最近Amebaブログを良く読んでいます。そこでこのブログはフィクションですという説明書きがあるブログがあってこれは中々面白いなと思いました。別にブログだからといって事実だけを書くのではなくまぁみんな事実だけを書いている訳は無いのですがその前書きがあることによって色々な解釈が生まれます。今燃え尽き症候群に近い状態かもしれません。ここ最近はずっとアウトプットしていたのでまたインプットしないといけません。何か新しい面白いものを探さなくてはいけません。ちょっと文章の書き方を変えてみようかなと思っています。でも変に奇を衒う文章は後で見ると恥ずかしいのでやっぱりこのままで行きます。