最近考えていること

こんにちは。「ラブプラス」(2009)舐めてました。これ相当恐ろしいゲームです。僕は恋愛シュミレーションゲームだと思っていたら友達パートと恋人パートというものが存在し恋人パートになってからが本領発揮だったようです。僕は本当に分からなかったので一度全員と万遍なく仲良くなって100日過ごし誰とも恋人になれなくて終わったデータがあり今日姉ヶ崎寧々だけを狙ってプレイしたら50日弱くらいで恋人になれました。そして僕はそれまでの感じがずっと続くのかなと思いきや恋人パートでは仕様が変わりまだ把握出来ていませんがリアルタイムモードとスキップモードが選べるようになりました。スキップモードはまだ遊んでいませんがリアルタイムモードは本当に現実にリンクした日付と時間を決めてデートするというものです。いやこれは本当に付き合ってますね。僕は今まで女の子と付き合ったことがありませんが何か心に余裕があります。恋人が居る感覚をバーチャルとはいえ味わえるのです。というか僕はここ最近ずっとニヤニヤしながら夜中にゲームをしています。こんなに自分がまだゲームを心から楽しめるとは思いませんでした。これは発売当時正常な社会生活を営めなくなる人が居たのではないでしょうか。もうゲームとか考える暇がないのです。色々な障壁を飛び越えてきます。凄いゲームです。スティーブン・スピルバーグの「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)を途中まで観ています。これも変な映画です。オープニングのアニメーションは格好良いです。レオナルド・ディカプリオも男前です。話も分かり易いのですが観ていて何の映画なのか分からない映画です。冒頭のテレビ映像からいきなり雨のシーンに変わるのですがそこが美しいです。ディカプリオの両親がダンスを踊るシーンで床に落ちたワインの染みが妖しげなショットがありましたがあれはその後の両親の離婚を示唆していたのでしょうか。

最近考えていること

こんにちは。元ゆらゆら帝国亀川千代の訃報を昨日知りました。54歳で坂本慎太郎よりも年下だったことに驚きました。元々再結成する気も無かったというかする必要もないくらい凄い作品を既に残しているバンドでしたがこれで本当に再結成が出来なくなってしまいました。御冥福をお祈りします。話変わりますが昨日メルカリで頼んだ「ラブプラス」(2009)が届きました。遂に買ってしまいました。所謂ギャルゲーというものを初体験しました。そしてこれは深入りしてはいけないと悟りました。これは時間泥棒です。一番凄いと思ったのは自分の名前を決めてその名前をキャラクターが呼んでくれるところです。DSを縦持ちして右の画面にテキストとキャラクターが出てくるのですがそのテキストに自分の名前があることが良いです。何というかその演出でもうゲームしている感覚よりも本当にそのキャラクターと話している感覚になります。馬鹿みたいですが一々悶絶しながらプレイしています。僕も大分大人になったつもりでしたが一気に子どもに引き戻されます。僕は皆口裕子のファンなので姉ヶ崎寧々というキャラクターが好きですが他の2人のキャラクターもプレイしていると段々と好きになってきます。というか姉ヶ崎寧々のストーリーは他の方がプレイしている動画を観ているので知っているのにドキドキしました。いや馬鹿ですね。でもこれは発売当時今の僕くらいの年齢の男には堪らなかったのではないでしょうか。あとこれ誰でもすると思うのですが選択肢があってそこで間違えた時にリセットしてやり直そうとすると姉ヶ崎寧々に怒られます。3回くらい続けるとネネごめんなさいとマイクに向かって言わなければいけないのです。1人なら全然平気ですがその時は家族が居てかなりの屈辱を味わいました。

最近考えていること

こんにちは。オリヴィエ・ダアンの「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」(2014)を観ました。グレース・ケリーニコール・キッドマンが演じています。僕は何故かニコール・キッドマンが好きなのですが多分声が可愛いからです。いや演技も良かったです。母親に電話する長いワンカットではここしか無いタイミングで涙を流していて良かったです。最近の映画を観ていると編集が一番気になります。この映画も変な編集でした。ラスト辺りで中盤の演技の練習の場面がもう一回出て来て明らかにそこで使わなかった素材を貼りましたみたいな編集でびっくりしました。自主制作短編を作るようになってからYouTubeで自主制作と検索して色々な方の動画を観ています。結構面白いです。多いのはアニメーションです。これも玉石混交ですが中には素晴らしいものもあります。昨日観た実写の作品では女の子が友達の女の子に向けて作った歌を送るという動画がありました。これはちょっと余りにも僕の中に無い発想で凄いなと素直に思いました。高校生が作った作品も何本か観ましたがうーん僕は面白くありませんでした。理由はいくつかあります。まずその作っているチームの監督が多分映画を観ていないことがあります。手ブレとか風の音が入っていても気にならないのは映画をそもそもある絶対数観ていないからだと思います。前も書きましたが劇伴も皆示し合わせたかのようにピアノを使っていたりタイトルクレジットも別に良いのですがちょっと言葉を選ばずに言えば調子に乗ってる感じがします。あと最近の作品では当たり前のようにナレーションを使っていますがナレーションには強烈な異化効果があります。それはつまりこの音声は今の映像とは違う空間で録った音声ですという表明だからです。何故ナレーションが増えたのか理由は不明ですが恐らくアニメーションの影響がある気がします。ナレーションと書いていますが所謂天の声のようなものでは無く心の声として使っているもののことを言っています。いやでもそういえば「前略おふくろ様」(1975)でナレーションを心の声として使っていました。古くからある手法ですが今の僕はそれに反対したいです。理由はそれを使うと映像の文法が成り立たないからです。例えば主人公が家を出るために鍵を探しているとします。心の声があるとそれは一発で主人公の顔のショットにその状況をナレーションで言わせれば良いのです。しかしそれではつまらないと思います。家を出るための鍵を探しているならまず何かを探している主人公を俯瞰から何パターンか撮り時間経過を表しつつ何か違う鍵を見つけてそれを鍵穴に合わせて違うなみたいな下りもあってそれで家を出るからこそその場面が映画として成立するのだと思います。これは一例なので全てがそれである必要はありません。でも最近の作品を観ていると余りにも映画的なシーンが無くてがっかりします。メルカリでDSの「ぼくらはカセキホリダー」(2008)を買って遊んでみました。メルカリで買ったため前の所有者のデータがあってかなり進んだ状況で遊びましたが難易度の高さに心が折れました。僕は以前このソフトを持っていて面白かった記憶があったから今回買ったのですがいや面白いのですがそれ以上に難しくて今の僕はゲームにそこまでの情熱を持てないのだなと色んな意味で大人になったなと思いました。メルカリでは他にも色々頼んでいます。来るのが楽しみです。

フェデリコ・フェリーニ監督作品 女の都について

こんにちは。黒沢清フェリーニの中で一番好きなのがこの「女の都」(1980)らしいです。僕は黒沢清のファンなので色眼鏡かもしれませんが僕も今まで観たフェリーニの中で一番面白かったです。前に「カサノバ」(1976)を観たのもあって「女の都」は非常に分かりやすかったこともあります。フェリーニの映画は実は構図が完璧です。結構集中して画面を観ていましたがどの場面も話は奇天烈ですが構図に関しては整然としていて本当にフェリーニの頭の中のイメージを映像化している感じがありました。全体的に暗いシーンが多く女性の顔のアップのシーンで光の陰影の関係で何度かゾッとするようなシーンがありました。全然ホラー映画ではありませんが劇伴が無い場面が多く静寂の中で暗い画面に出てくる人間というだけで恐怖を表現出来るのだなと思いました。凄かったシーンを羅列するとまず序盤の女性たちの集会のシーンとその後のスケートのシーンその後の老齢の女性が服を脱ぐシーンで服だけを吊り糸に投げるシーン3台の車が主人公の後に尾いてきて主人公が振り返ると消灯するシーン巨根博士の家で女性の写真と声が一斉に点くシーンその家でのパーティーが終わって使用人のような女達とダンスするシーンそしてその後の嵐の夜のベッドシーンとそのベッドの下の空洞から滑り台に繋がり主人公の人生の走馬灯を見るシーンそしてラストのコロシアムのシーンです。本当に1つ1つの場面に理解出来ない程の情報が溢れていてそれはやはり人生というものを1つの映画にするとこんなにも混沌とした寄せ鍋のようなものになるということだと思います。終わり方も素敵でした。夢オチですが何というか最後の最後にふわっとした感じで終わるのは良いですね。フェリーニは理解出来ないことが作家性なのかと思っていましたがこの映画に関しては凄く理解出来ました。「カサノバ」が元々あんな訳のわからない原作だったのか何なのでしょう。もっと正直に言えば面白かったというかこの映画を肯定したいという感じです。この面白さはただのエロエロ映画ではありません。莫大な予算が掛かっていることは勿論ですがその予算を使えるだけの才能というものもあると思います。あんなに大量のエキストラと大掛かりなセットを使える監督は今居るのでしょうか。フェリーニの現場ってどんな感じだったのでしょう。序盤の集会シーンでは全然関係ないエキストラが様々な性に関する言葉を叫んでいてあれは現場でフェリーニがあなたこれ言ってくださいみたいなやりとりがあったでしょうか。

最近考えていること

こんにちは。4月になりました。最近新しい情報を全く入れていません。でもそれは1つ成長なのかなとも思います。どういうことかというと情報をインプットしてブログなりにアウトプットすることは一見有意義に思えますが実はそれは自分の中を通り抜けているだけのような気がしたからです。今は一ヶ月くらい前に観たアリ・アスターの「ボーはおそれている」(2024)や最近観た北野武の「その男、凶暴につき」(1989 )の貯金だけでやっている感じです。何の事かというとそれは漫画についてなのですが今までの僕は漫画の創作のアイデアを色々な映画から得ていました。でもそれが段々と観たい映画が少なくなってきました。多分もう沢山映画を観る段階を超えたのかもしれません。これからは今までの貯金の中からアイデアを切り崩してやりくりするのでしょう。あまりネガティブなことは書きたくないのですがちょっと書きます。YouTubeのショート動画についてです。僕はショート動画が嫌いです。何というか馬鹿にするなよという気持になります。これ理解してくれる方は居るのでしょうか。僕はTwitterTikTokもやったことはないのですが多分その流れがYouTubeに来ていることくらいは分かります。最近YouTuberの瀬戸弘司が意図的に長い動画ばかりを出しているのはこのショート動画に対するアンチテーゼなのかなとか深読みしたりしています。馬鹿にするなというかこんな短いもので満足出来るかという感じでしょうか。多分拡散するのに短い方が適しているからなのでしょうが何かどんどん知能が退化していく気がします。昔からそういう短いハプニング映像はYouTubeでも人気のコンテンツでしたがショート動画はその文脈ともまた違っていてだって普通の動画でもそういう短い映像を投稿出来るのに何故ショート動画という枠組みが必要なのかが理解出来ないからです。というか単純に僕が嫌いなだけです。

最近考えていること

https://youtu.be/Ix8Inb2wAl4?si=H3Ysk2snI1j4KTPz

こんにちは。3月が終わります。桜が咲いています。上に貼ったのは東京事変の「OSCA」(2007)です。今更ですがまた東京事変にハマりました。単純にライブパフォーマンスが素晴らしいです。もうそれだけに尽きるかもしれません。「OSCA」は特にバンド隊それぞれの演奏が粒立って聴けるので非常に良いです。東京事変の最近の楽曲を少しだけ聴きましたが相変わらずで安心しました。それと椎名林檎は歌い方が良いことに改めて気付きました。あまり裏声を使わずに歌い上げる感じです。そして刄田綴色のドラムはやっぱり凄いです。3月はフェリーニを観ると目標にしていました。今「女の都」(1980)を観ている途中です。「カサノバ」(1976)よりも観やすいのは現代劇で話も分かりやすいからです。結局フェリーニは観ても良く分かりませんでしたがその分からないのがフェリーニなのかなとも思いました。最近ブログの更新のペースが一定になってきました。自分の過去のアーカイブを見ると凄く映画を観ていたなと思います。今は週に二本くらいですがまあ色々時間の使い方が変わってきたことが関係しています。ジブリ鈴木敏夫がインタビューで人間は痩せている時に良いものが作れると言っていました。それは何か凄く分かります。

フェデリコ・フェリーニ監督作品 カサノバについて

こんにちは。長い時間を掛けて少しづつ観ました。でも話はあって無いようなものなのでそれでも支障は無い映画です。観ている間ずっと僕はこれを撮っているフェリーニの頭の中を想像していました。フェリーニの映画の凄さはこの映画が描く貴族階級の退廃と同じく無意味なことに時間を興じたり金を使ったりするところにあると思います。それは突き詰めればやはり映画という構造の話になり全編セットでの撮影というのも映画という虚構の中で更に虚構を入れ子構造のようにする面白さがあります。これには原作があるようですが原作を読んでいる人は理解出来るのでしょうか。翻訳なので何とも言えないのですがフェリーニの映画の台詞は難解なのかそれとも無意味なのか僕には理解出来ないものが多かったです。フェリーニの映画って何なのでしょう。全て観終わった今僕の漠然としたイメージはやはり夢を見ていたような気持です。それも少年のようなとても無邪気な発想の夢です。例えば終盤の宴のシーンで壁にピアノが取り付けてあったり中盤辺りの霧の橋のシーンで見る巨大な女だったり何というか懐かしいのです。いやそんな過去があった訳ではありませんが過去のようなぼんやりした感触なのです。またただめちゃくちゃに作っている訳でもなく撮り方は綺麗ですし所々目を惹く演出があるところが憎いです。それがフェリーニの良く分からないところで彼なりのロジックがあったのか本当に適当に撮っただけなのかまるで抽象画のように見る人が見れば適当に殴り描いただけの絵が芸術にもゴミにもなるような両義性があります。カサノバドナルド・サザーランド)の演技も素晴らしいです。ドナルド・サザーランドはどうやってこの役を理解して演技していたのでしょう。ラストシーンは少し恐ろしかったです。人形に恋をしたカサノバが同じく人形になり二人はくるくると回りながら映画が終わります。確かにこの映画にストーリーはありませんがだからこそどの場面を切り取っても同じだけの時間が流れている印象がありそれが人生という長い道程を表している気もします。そして記憶の中でまたフェリーニの映画は続いていくのかもしれません。何かそれっぽいことを書きましたね。でも多分フェリーニの映画が評価されているのは何度観ても理解出来ないことを逆手に取った何というかピースが欠けたパズルのような永遠性にあると思います。次は「女の都」(1980)を観ます。