フェデリコ・フェリーニ監督作品 カサノバについて

こんにちは。長い時間を掛けて少しづつ観ました。でも話はあって無いようなものなのでそれでも支障は無い映画です。観ている間ずっと僕はこれを撮っているフェリーニの頭の中を想像していました。フェリーニの映画の凄さはこの映画が描く貴族階級の退廃と同じく無意味なことに時間を興じたり金を使ったりするところにあると思います。それは突き詰めればやはり映画という構造の話になり全編セットでの撮影というのも映画という虚構の中で更に虚構を入れ子構造のようにする面白さがあります。これには原作があるようですが原作を読んでいる人は理解出来るのでしょうか。翻訳なので何とも言えないのですがフェリーニの映画の台詞は難解なのかそれとも無意味なのか僕には理解出来ないものが多かったです。フェリーニの映画って何なのでしょう。全て観終わった今僕の漠然としたイメージはやはり夢を見ていたような気持です。それも少年のようなとても無邪気な発想の夢です。例えば終盤の宴のシーンで壁にピアノが取り付けてあったり中盤辺りの霧の橋のシーンで見る巨大な女だったり何というか懐かしいのです。いやそんな過去があった訳ではありませんが過去のようなぼんやりした感触なのです。またただめちゃくちゃに作っている訳でもなく撮り方は綺麗ですし所々目を惹く演出があるところが憎いです。それがフェリーニの良く分からないところで彼なりのロジックがあったのか本当に適当に撮っただけなのかまるで抽象画のように見る人が見れば適当に殴り描いただけの絵が芸術にもゴミにもなるような両義性があります。カサノバドナルド・サザーランド)の演技も素晴らしいです。ドナルド・サザーランドはどうやってこの役を理解して演技していたのでしょう。ラストシーンは少し恐ろしかったです。人形に恋をしたカサノバが同じく人形になり二人はくるくると回りながら映画が終わります。確かにこの映画にストーリーはありませんがだからこそどの場面を切り取っても同じだけの時間が流れている印象がありそれが人生という長い道程を表している気もします。そして記憶の中でまたフェリーニの映画は続いていくのかもしれません。何かそれっぽいことを書きましたね。でも多分フェリーニの映画が評価されているのは何度観ても理解出来ないことを逆手に取った何というかピースが欠けたパズルのような永遠性にあると思います。次は「女の都」(1980)を観ます。