最近考えていること

こんにちは。5月になりました。「ダレン・シャン」(2000)の1巻を読んでいるのですが中々食が進みません。理由は児童文学なので仕方ないですが表現が単純で飽きてしまうからです。それでも細かい言い回しとかまで覚えている箇所があって恐らく15年前くらいに読んだ当時は衝撃があり面白かったのだと思います。でも流石に本に書いていることを信じる程に子どもでは無かったのでもうフィクションとして楽しんでいたと思います。最近車で帰宅している時に道路の路側帯にタヌキの赤ちゃんを見つけました。丁度その2日後くらいにインターネットの記事でこの時期に側溝に落ちているのはタヌキの赤ちゃんですみたいな記事があって本当にそれがありました。タヌキは前にも書きましたが夜行性で光を見るとびっくりして止まってしまうためにロードキルが最も多い動物です。その赤ちゃんもずぶ濡れで車で側まで近寄っても逃げないくらいに弱っていました。結局エサをあげるにも持っていないし近くに山があれば帰してあげようと思いましたが生憎田んぼ道で流石に田んぼに放すのは農家の方に迷惑なので僕はそのまま帰りました。数十メートル離れた後にバックミラーで見るとその赤ちゃんの場所で僕と同じように車が止まっていてやっぱり皆考えることは同じだよなと思いました。帰りながら僕は宮崎駿の「風立ちぬ」(2013)のシベリアの場面を思い起こしていました。綺麗事かもしれませんがやはり野生の動物は野生のままが一番が良いのだと思います。もし僕がエサを与えていたら元気になってあのタヌキは生き延びることが出来たかもしれません。でもそれは僕のエゴイズムです。色々考えましたが自然の摂理に任せるしかないという結論になりました。最近全然漫画を描いていません。今日もいつも行く図書館が祝日で閉まっていて言い訳ですが描けていません。こういう時に一ヶ月くらい前のよく描いていた頃の自分を思い出すと凄いなとか思います。話変わりますが僕は自分の好きなものを好きだと人に言うことが苦手です。たまたま最近そういう好きなものを好きだと言う人の話を聞いていて改めて僕はそれが出来ないのだと思いました。それは僕が推しという言葉が嫌いなことに繋がります。何というか僕はやはり古いものに対する憧れがあってそれは日本人とはこうあるべきみたいな考えにも繋がっているのですが僕は好きなものを人前で堂々と好きだと言うことは恥ずべきことだと思います。勿論TPOはありますがそれは言葉にすることではないことまでも肯定してしまうからです。だからブログで書いている訳ですが多分そのインターネットと現実世界の境界が曖昧になってきている顕著な例だとも思います。漠然とそろそろインターネットをすることが格好悪いという時代の流れが来そうな気がしています。今はまだインターネットでお金が動いているので多分そんな流れは消されてしまうと思いますが現に僕はインターネットに対して懐疑的な感情を持っています。まあということをそのインターネットで書いている矛盾はありますが流行とかは本当に円になって循環しているのだろうと思います。