ナ・ホンジン監督作品 哭声について

こんにちは。アリ・アスターが「ミッドサマー」(2019)についてのインタビューで韓国映画を絶賛していて、中でもここ十年のホラー映画の中で一番好きだという「哭声」(2016)を観ました。確かに僕も近年の映画は黒沢清以外邦画をちゃんと観ていないことに気付いて、まあだから何だという話ですが邦画も観なければいけないです。ナ・ホンジンはキャリアの割には寡作な監督ですが、その分一作に全て詰め込むのでしょう、この映画もかなり長尺で様々なジャンルを繋いだジャンルミックスの作品です。韓国映画を観ていて不思議に感じるのは主演がヒーローでもアンチヒーローでもない、本当に情けない男が好まれることです。見た目もシュッとしている訳でもない、本当にごく普通のそこら辺にいるおじさんです。勿論演技が上手いおじさんではありますが、何というかその辺りが邦画と一線を画している僕が好きなポイントです。映画に映っていることはその国のありのままの姿な訳はなく、韓国映画の他人に対する横柄な態度や暴力描写はイコール韓国の民族性だと解釈するのは危険です。あの除霊のパフォーマンスも本当にあんなことをやっているのか、微妙なところです。カメラワークは徐々にズームしていくフィックスと美しい遠景が多かったです。「ミッドサマー」が余所者を取り込む話だったのに対して、この映画は余所者を排除しようとする話です。どちらかというとそれは自然な反応であり「ミッドサマー」がジャンル映画の枠を使いながら異質になれたのは、そこが秀でていたからだと思います。それからジャンプスケアが全く無かったことも良かったです。あと台詞でこれは夢か、夢じゃない、とかお前は誰だ、みたいな台詞が良かったです。最近映画を観ていて感じるのは男と女とか大人と子どもとか無意識にある力関係を引っくり返す面白さがあります。この映画でもショッキングなのはあんなに優しそうだった子どもが狂うところにあり、また謎の女が命令口調で主人公に話し掛けるところとかが面白いです。今阿澄思惟の「禁祀:occult」(2021)を読み終えてつくづく日本と韓国のシャーマニズムの類似性に驚くと同時にやはりこれは世界的なシンクロニシティなのではないかと勘繰っています。勿論どちらもフィクションなので同じ根本から情報を得ているか、それを観て影響を受けただけかもしれませんが面白いです。