宮沢賢治原作 髙畑勲監督作品 セロ弾きのゴーシュについて

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こんにちは。暑いです。いやもう8月に入りました。新しい漫画を描いているのですが、進捗が芳しくないです。なにかヒントを、と思い身近の本に手を伸ばしていると宮沢賢治が目に留まりました。その関係で今回「セロ弾きのゴーシュ」を観直した次第です。併せて髙畑勲の「映画をつくりながら考えたこと」も読み直しました。実はこの映画を観るのは3回目位です。一番最初に観たのは学校の音楽の授業だったと思います。「映画をつくりながら考えたこと」でも書いていますが、この映画はゴーシュという人付き合いの苦手な青年の成長を描きつつ、動物との寓話的な話を幻想的にまとめていて、観ていて不思議な心持ちでした。また背景が登場人物たちの心理描写で変わる、という髙畑勲的な演出が随所にあってそれもとても良かったです。ゴーシュの演奏が動物の病気を治している、というのは宗教的です。全体的に娯楽映画になっていて、子狸が可愛かったり、ゴーシュが明け方まで練習するような青春っぽさもあります。あと登場人物が皆優しい世界です。これは宮沢賢治の作品全てに通ずる特徴かもしれませんが、宮沢賢治が考えた理想郷はこういう世界だったのでしょう。我々日本人の心には今でも宮沢賢治の心象風景が在ります。「風の又三郎」を読んでも僕でも懐かしいものです。こういう今は失われたかつての古き良き日本の作品を観ると、胸が熱くなります。ラストのゴーシュや猫、カッコー、狸、鼠、皆が同じ夕日を見ているというシーンが良かったです。