ロマン・ポランスキー監督作品 袋小路について

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こんにちは。まず関係ない話をします。この1週間映画を沢山観ました。主にフェリーニポランスキーですが。昔の人が作った映像を見ていると、昔は映像を写して編集して物語が出来ることが如何に物凄い事だったかがよく分かります。だからこそ映画監督は高い画面構成能力や、秀でた感覚を求められたのでしょう。今の映像が全てダメだとは思いませんが、今のテレビドラマなどを少し観てみると、役者の過剰な演技が目に入ります。僕は洋画は字幕で観るのですが、遥か昔の人間の演技の伸びやかさに驚きます。そもそも西洋的なものである演技を日本人がすることに無理があるのかも知れません。元々日本人は人前で感情を出さず、身振り手振りなども少なかった、と髙畑勲もいっていました。演技とは映画の中で登場人物が生きていることの証です。まるで本当に意思があり感情があるように見せることです。勿論そんなことはなく、カメラの後ろには大勢のスタッフが居るのですが。何故こうなってしまったのでしょう。単純にテレビの時代が終わったこともあるでしょうし、役者を顔の良し悪しでしか判断しなくなったこともあるでしょう。誰もそんなことを求めていない、ということもあるのかも知れません。好きな役者が出ていれば内容はどうでも良いのでしょうか。今のテレビドラマを作っている人は何の矜恃を持って映像を作っているのでしょう。偉そうにすいません。例えばフェリーニなんかを観て、影響を受けて作品にしたいと思っても出来ない状況なのでしょうか。若い人間がそんなことを思っても上の人間がさせないのでしょうか。まあおそらく一番の理由はお金だと思います。今はスポンサーがお金を出してペイできる作品しか作れないのでしょう。「袋小路」出てくる人間が皆粗暴な感じです。ラストの愛する妻を失って発狂して暴れまわり、部屋で呆然とする主人公は哀れですが、どこかスッキリしているようにも見えます。あとテレサの性格が奔放で演技を観ていて、おっとなる瞬間がありました。単純に美人なのですが、座ったときの話の聞き方や人の子供の耳を思い切りつねったり女性らしからぬところがあります。この映画はストーリーというよりは登場人物の行動をカメラが捉えて話が進んでいきます。なので登場人物の演技に自然に魅入ってしまいます。