フェデリコ フェリーニ監督作品 8 2/1について

f:id:okabayashisoma:20210808171855j:plainこんにちは。最近漫画を描くために、音楽をスピーカーで聴くようになりました。僕は今まで音楽はイヤホンかヘッドフォンで聴くほうがいいと思っていたのですが、スピーカーの方がいいと思うようになりました。理由はいくつかありますが、気分転換というのが大きいです。スピーカーだとイヤホンで聴く時には聴こえなかった音が聴こえたりすることも面白いです。さてフェリーニの映画は初めて観ました。何故観ようと思ったかというと、黒沢清がインタビューでフェリーニについて語っている記事を読んだからです。8 2/1の読み方は、はっかにぶんのいちでも、はちとにぶんのいちのどっちでも良いみたいです。ストーリーはいわゆる劇中劇のようなもので、スランプに悩む映画監督の頭の中と現実が交錯して話が進みます。またこの映画は回想に入る時の切れ目がないので、注意深く観ていないと時系列が判らなくなります。この辺は今敏に似ているな、と思いました。僕は冒頭のシークエンスでこの映画のやりたいことが解りました。映画は渋滞から始まります。渋滞の中でカメラは辺りの車を映します。主人公のグイドの車から煙が出ます。外のバスには乗客がまるで首吊りのようにずらっと吊るされています。車から抜け出すと、今度は空を飛びます。しかし地上にいる男によって海に落とされます。これは明らかになにかのメタファーです。つまりこの映画は実際のストーリーを追うのではなく、映っているものや現象、場所などから意味を探っていく映画だということがわかります。映画の中で映画についての話をずっとしているのですが、明らかにこの映画についての話をしています。1968年公開なのですが、当時はこういうメタフィクションは浸透していたのでしょうか。こういう作品はいわゆるミュージシャンズミュージシャンのようなもので、一般の人が観ても、ただの退屈な映画かもしれません。僕は色々真似したくなる演出やセリフがありました。例えば全く関係ない人が電話で話している内容が今の状況を説明していたり、ラストで今まで出てきた登場人物が全員出てきて、皆で輪になって踊るシーンなどが特に良かったです。正に大団円ですね。フェリーニの映画はこういう半自伝的なテーマが多いのでしょうか。ぐるぐる回って様々な人がカメラの方を向いて動く撮り方も独特で面白かったです。
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