楊徳昌監督作品 牯嶺街少年殺人事件について

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こんにちは。「牯嶺街少年殺人事件」は黒沢清が絶賛していたのでいつか観たいと思っていました。youtubeの4Kレストアデジタルリマスター版で、とても綺麗な映像で観ることができました。これを書くに辺り、インターネットでこの映画についての感想を調べてみると皆良い感想を書いていて、それと同じことを書いてもしょうがないので、僕が見た中であまり書かれてないことと、皆の感想を読んで思ったことを、両方書いてみようと思います。まずこの映画は長いです。これは皆書いていましたが僕も長いと思います。しかし退屈ではありませんでした。凄いですね。またこの映画は黒沢清もインタビューでいっていますが、レイアウトが抜群に良いです。家の外にカメラを置くことで実際の民家をオープンセットのように引きで撮ることが出来ています。本当にいちいち綺麗な構図が出てきて、しかもそれがぶれることなく4時間近く続くことに驚きました。これは他の方の感想を読んで知ったのですが、この映画は1960年代の台湾の政治的事情と密接に関係していて、映画の中で文字の説明もあるのですが、この当時は、中国から台湾にやってきた入植者の外省人と台湾に元々住んでいた本省人との軋轢があり、そうした大人たちの不安をこどもが感じている背景があります。またこれも他の方の感想を読んで気づいた、というかこれは僕も薄々気づいていたのですが、やたらと光と闇の演出が出てきます。映画の冒頭は誰かが豆電球を点けるシーンから始まります。主人公の小四(シャオスー)は懐中電灯を持っていて、目の調子が悪いため部屋の電気を点けたり消したりします。小明(シャオメイ)の後ろ姿を目撃する場面でも、教室の電気は点いたり消えたりします。小四の懐中電灯は彼の視野、つまり見えている世界を表しています。また希望の光という意味もあるでしょう。彼の視野は懐中電灯の微かな狭い世界しか見えません。そして映画スタジオで手に入れた懐中電灯を同じ映画スタジオで手放した時に、彼の未来を照らす光は失われ、小明を殺してしまいます。いや良く出来ています。他にもカチコミの場面、バスケットボールなど惚れ惚れするシーンがたくさんありました。主人公の小四は寡黙でぼーっとした端正な顔立ちの少年です。僕は押井守の「スカイ・クロラ」のカンナミに似ているなと思いました。主人公の状況に巻き込まれていく感じ、いつの間にか事態は進行していて、取り返しがつかないことになっている感じは観客の状況と同期しています。またこれも他の方もいっていましたが、出てくる言葉が地名なのか人名なのかわかりづらく、登場人物の顔と名前を一致させるのが難しい映画です。主人公も小四と張震という二通りの名前が存在します。この映画を観ていて思ったのですが、台湾は日本ほど人間を見た目で判断する文化がないのかも知れません。僕は字幕で鑑賞したのですが、台詞を思い返してみても見た目のことについて、言及する場面はほとんどなかったように思います。まあ他にもっと大きな抑圧や差別があるからだと思いますが。それとこの映画は初めから終わりまで時間が一直線に進んでいきます。映画にはよくあるのですが、冒頭に未来や過去から始まったり、途中で回想が入ったりもしません。時間は不可逆的に進んでいきます。この辺りも上手いですね。まさにこの映画を象徴していると思います。そのため僕はドキュメンタリーに近い印象を受けました。wikipediaを読むと、この映画は楊徳昌(エドワード・ヤン)監督が幼い時に起こった実際の事件をモチーフにしているそうです。劇中に映画を撮っている映画スタジオがでてくるのですが、ヒロインの小明の伏線になっています。小明はいきなり映画の主演に選ばれたのですが、オーディションで自然に涙を流すことができます。つまり彼女は普段から演技しているということです。最後の小四が小明を刺す場面の小四の「なぜ立たない?」という台詞はおそらく彼が小明は演技していると思ったということだと思います。この場面は二人の胸から上を映していて、二人は抱擁しているようにも見ることができます。ここからは僕が個人的に気になった場面を書いていきます。小明と小翠(シャオスイ)という二人の女の子に小四は全く同じことを言われます。小四の父の取り調べの場面のまるで全てが幻だったかのような演出、この場面はカメラワークも明らかに不穏な空気を醸し出しています。小四と小明の初めて出会う場面、小四が小明を追いかけて、自分の思いを吐露する場面で後ろの楽器隊が演奏し始めることや、小四が一人の時にふざけて帽子を被りポーズを決める場面、これは「タクシードライバー」のオマージュでしょうね。いや良い映画でした。