ルネ・ラルー監督作品 ファンタスティック・プラネットについて

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こんにちは。フランスのアニメーションについて調べていると、自然と行き着くところがここです。まだ全て観ていませんが、なんとなく話は想像できます。こういう絵柄は奇ゲー、と呼ばれる変わったゲーム作品に多くあります。例えば「GARAGE」(1999)とか、「HYLICS」(2015)とかに似ています。切り絵のようなアニメーションの感覚は「シャキーン」という僕がこどものときに放送されていた教育番組のアニメーションに似ています。

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一日かけて観ました。YouTubeで鑑賞したのですが、字幕がギリシャ語とスペイン語と英語しかなく、一番分かりそうな英語で観ましたが、ちんぷんかんぷんでした。結局全て観た後にwikipediaであらすじを読んでようやく話を理解しました。ビジュアルのインパクトから話を曲解されそうな感じですが、話自体は王道な話です。魚のような巨人が人間のような小人を飼う様子は、ショッキングでグロテスクです。人間の立場を逆転させる意味では藤子・F・不二雄の「ミノタウロスの皿」(1969)にも似ています。今回調べていると、どうやらこの「ファンタスティック・プラネット」(1974)が公開されていた当時の時代のSFの雰囲気として「猿の惑星」(1968)の影響があったらしいです。フランスの作品なので、ミッシェル・オスロの「キリクと魔女」(1998)も思い出しました。

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そもそもこの作品を観たきっかけは漫画を描くためにSFについて調べていた時に行き詰まったので観ました。何に行き詰まるのかというと、ざっくりいうと世界観です。この作品の世界観は胎内世界のような現代芸術のような前衛的な背景で成り立っています。世界観を作る上で大切なことは、異世界であれなんであれ、統一性を持たせることです。大抵その統一性は国の国風文化に拠ります。ということに今日気づき、改めて日本に住んでいる僕がSFを日本の文化に根ざした形でやろうとすると、諸星大二郎になるな、という結論に至りました。
何故そう思ったのかは分かりませんが、とにかくそう考えると、今欠けているパズルのピースが埋まる気がしたのです。作品を作る上でこういうことは何度かありました。とにかく諸星大二郎を読んでみて考えます。