魔法の呪文はガン・マビ・レーテについて

こんにちは。うーん僕はこういう朗読劇を観始めたばかりで所謂スタンダードが良く分からないのですが何故こんな話になるのか良く分かりません。前に観たのは「鴨の音」(2020)でしたがこちらは最初は戸惑いましたが話が進むに連れて方丈記に準えて作られていることが解りそれで震災の話が出てきたのも納得でしたし最後は非常に感動しました。僕は朗読劇を「鴨の音」と「魔法の呪文はガン・マビ・レーテ」(2022)の2本しか観てないのでそこから色々書きますが「鴨の音」が朗読劇で声優が台本を見ながら話すのは何というか話も声優の話なので自然な流れでそこまで気にならなかったのですが「魔法の呪文はガン・マビ・レーテ」の場合は何から言えば良いのか黒子も出てきますし劇中劇も出てきて大変渋滞しています。この演劇が言いたいことは良く分かります。しかし何故こんな構成になるのか全く理解出来ません。まずあれだけ演者が動き回るのなら台本を見ながら話すのはおかしいですし演出も散らかっていて何処を見ていいのか分かりません。演劇を観ていて思うのは演劇における良い演技は確かにアニメーションの声優と親和性が高いということです。映画における良い演技は人によって違いますが僕はクリント・イーストウッドロベール・ブレッソンなどのように俳優に演技させない演技の方が格好良いと思います。しかしそれは映画の話です。演劇は大きな声で話さないと観客に声が届かない為に発声法が大げさになり身振りも大きくなります。それはアニメーションと似ています。繰り返しますが僕は演劇に関してはビギナーなので演劇の世界で流行っているものとか過去に流行っていたものとかが分からないのでこの「魔法の呪文はガン・マビ・レーテ」の演出が飽和した中から生まれた新しい表現なのかどうかも分かりません。スクリーンを使ったり黒子が踊ったりするのは僕は否定的に観ましたがあれが斬新だということなのかうーん分かりません。というかそう考えると映画の世界の俳優は常に監督から演技を抑制されている状態です。