阿部雅司監督作品 BLUE GENDERについて

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こんにちは。何故この作品を観ようと思ったのかというと、「囚人022の避難所」というブログにこの作品の感想があって、それに完全に触発されました。改めてブログって良いもんだなと思います。文字媒体ですが、書いている人のひととなりが文章から分かります。この作品は中学生くらいの時に何話か観た記憶があります。今書いている現在、16話まで観ました。感想の前にこの作品が作られた1999年は文字通り世紀末という感じだったのでしょうね。僕は体感していないのでなんとも言えませんが、1990年代のアニメーションにはやっぱりこの世の終わりの感覚が如実に現れていると思います。この作品に出てくるBLUEの造形は「デビルマン」のOVA(2000)に似ています。残酷描写は「エルフェンリート」を思い出しますし(調べてみるとエルフェンリートは2004年でした。)ストーリーは「serial experiments lain」(1998)や「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)を思い出します。あと映像の雰囲気が「鋼の錬金術師」の旧バージョン(2003)に似ています。具体的にいうと、登場人物が驚いたときに目のハイライトが無くなります。毎回タイトルの英単語があまり聞き慣れない英単語なのが少し格好良いです。「BLUE GENDER」のジェンダーとは、性差という意味です。調べるとかなり社会的な言葉らしいですね。「囚人022の避難所」にも書かれていましたが、この話は主人公の海堂裕司の男としての成長を描いています。邦画のような淡白な描写と時折入るエロティシズムが心地良い、とも書かれていましたが、正にそんな感じのアニメーションです。1.2話はいきなり地獄のような世界で目覚めた主人公の驚きを描いているのですが、僕は少ししつこく感じました。しかし3.4話くらいから裕司がマリーンを女性として意識しだしてから一気に引き込まれました。人間は災害などで、生命の存続が危ぶまれた時に生物として子孫を残そうとする本能があるそうです。この世界の性の奔放さはそういうことを表現しているのと同時に、作品として適度にお色気シーンがないと飽きてしまう、という視聴者サービスも兼ねているのだと思います。作画はムラがかなりあります。  

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24話まで見終わりました。まだ2話あるのですが、僕としてはもう良いかな、という感じです。セカンドアースに行ってからの話は簡単にまとめると、地球というひとつの生物が増えすぎた人間という細胞を減らすためにBLUEを誕生させたということ。そして海堂裕司はそのBLUEと同じB細胞をもった人間だということです。後半は少し中弛みしました。前半はクオリティーは低くても勢いがあったのですが。でもアリシアのまだ悪い夢の途中だからもう一度眠ろう、みたいな台詞は凄い良かったです。裕司が強さにのめり込んでいって相対的にマリーンが弱くなっていくのは分かるのですが、裕司を好きになっていくマリーンの心の動きがよく分かりませんでした。マリーンがリックに対して耳元で囁く場面、良かったです。要所要所で良い場面があるのですが、全体的に観るとやっぱり微妙な作品でした。登場人物が死ぬときの死に方はVシネマみたいな感じで、引きであっけらかんと死にます。