最近考えていること

https://youtu.be/suB8cBiiZ04?si=yGBFCMwzTzUXvmP-

こんにちは。12月半ばです。そういえば去年のこの時期は珍しく豪雪だったことを思い出します。今年はそんな気配もなく穏やかな年末になりそうです。最近つげ義春をまた読んでいます。きっかけは「放送室」(2001)でゴッホについて話しているのを聴いて何故かつげ義春のことを思い出したからです。それは天才と呼ばれる人間には絶対にサポーターのような存在が居るという話です。ゴッホの場合は弟のテオがそうですしゴッホと同じ年齢で死去した宮沢賢治にも宮沢清六という弟が居ました。前にも書いた気がしますがこの2人には共通点が多く死んだ年齢が37歳で2人とも弟に支援されて死後有名になったことそしてゴッホが死んだ6年後にまるで生まれ変わりのように生まれたのが宮沢賢治であることなど偶然の一致にしても非常に興味深い事実です。そして上に貼ったのはそのつげ義春のサポーターと呼べる高野慎三のインタビューです。つげ義春の「紅い花/やなぎや主人」(2009)に高野慎三の解説が入っていて実はそれが凄く好きだったことに後で気付きました。つげ義春の人物像として生活に困らない程度稼いだら仕事をしないとかいきなり蒸発するとか凄い良いですね。僕は定期的に遁世したくなる時があって今正にその気分なのですがそういう時につげ義春の作品はピッタリ合います。しかし今回つげ義春を読み直してみて昔読んだ時程感動しなくなっていることに気付きました。それは恐らく僕の出発点がつげ義春のようなアングラっぽい作品を描きたいという願望で年を経て今読むとその時の拙い自分を思い出すからだと思います。でもやっぱりつげ義春の間のとり方や登場人物の顔に影をつけるのとかとても格好良いです。ロマン・ポランスキーの「告白小説、その結末」(2017)をまた観ています。多分僕がロマン・ポランスキーという名前を意識して観た初めての作品です。今観ると前に観たクロード・シャブロルの「主婦マリーがしたこと」(1990)と同じく非常にシンプルなショットだけで話が進みます。それでも面白いのは編集が抜群に上手いからです。そしてドアの開閉や登場人物の移動シーンなどが多いです。個人的に気になっていた時間軸が一定かどうかは一度だけデルフィーユ(エマニュエル・セニエ)の夢で彼女の母親が向いのマンションに向かってノートパソコンを放り投げるという凄いシーン以外は時間軸は一定でした。やはり意識しているのでしょうか。