最近考えていること

フィリップ・ノイスの「セイント」(1997)を観ました。これもジャケット借りしてパッケージに書かれている文言からもっと形而上学的な、今心配になって形而上学と調べたのですが合っているのか微妙なのでもっと哲学的な内容かと予想していたら普通のアクション映画でした。パッケージの文言から予想していたのは、僕が好きな古味直志の「APPLE」(2009)みたいな何にでも変身できる主人公だったのですが、確かに変装はしていましたがそこまでそれを押すほどの変装も無かったです。観ていて感じたのはというかこれは最近洋画を観ていてつくづく感じることですが、アルフレッド・ヒッチコックは本当に滅茶苦茶影響力があったのだということです。日本で一番有名な映画監督は恐らく黒澤明だと思いますが、日本だとそこまで黒澤明を意識したような映画は少ない気がします。その代わり日本だと手塚治虫が漫画でヒッチコックくらいの影響力があるかもしれません。この「セイント」もヒッチコックっぽい演出が沢山ありました。最近マックスむらいをまた観ています。といっても最近の動画ではなく3年前くらいの動画を観ています。やはり年齢によって感じる面白さは違います。小沢健志監修「レンズが撮らえた150年前の日本」をamazonで頼みました。大正時代の日本の風景写真を見たかったので頼んだのですが、それよりもポートレートの方が面白かったです。言っても150年前ですからそこまで日本人の顔の造形が変わる訳はないのですが、やはり皆痩せていてそして男性は色黒で女性は今とあまり変わらない印象です。写真に映っている表情が面白く笑っている写真などは無く皆未知の技術に対する不信に満ちた表情をしています。

 

20230310

同じく頼んだ小沢健志・高橋則英監修「レンズが撮らえたF・ベアトの幕末」という写真集にはフェリーチェ・ベアトという文久3年(1863)から明治17年(1884)まで日本に滞在していたイギリスの写真家が撮った貴重な写真が掲載されています。僕が気になったのはこの19世紀に撮られた写真がどういう撮影方法で撮られたかということです。結論からいえばこれは湿板写真という技術で撮られた写真です。黒沢清の「ダゲレオタイプの女」(2016)で使われていたダゲレオタイプはこの湿板写真が発明される以前に使われていた技術のようです。僕も写真の原理については全く分からないのでがっつりwikipediaとか本から引用していますが、湿板写真とは写真家が現場で自ら感光板(ガラス)を作り、薬品で濡らした状態で撮影して現像しなければならなかったようです。画質の良さがアナログとは思えないくらい良くデジタルが16Kとかになっても結局は原点にして頂点というか、かなり状態が良い写真が多いです。本にも書かれていますが日本がペリー来航から開国(1854)して、大政奉還(1867)や文明開化などの様々なエポックメイキングな出来事が起こった19世紀後半の日本の写真が残っていることは、かなり歴史的価値があります。明治時代でもまだ江戸時代の風俗が色濃く残っており、それを外国人から見た視点から記録していることも尚興味深いです。基本的に田舎などの風景は現在とあまり変わりませんが、映っている人間が和服な事と痩せているからなのか、皆とても格好良く見えます。僕の今年亡くなった祖父は93歳だったので1930年(昭和5年)生まれでしたが、その祖父の顔付きの人間が沢山居る感じです。