What I'm thinking about recently

Hello.This sentence is written by Google's translation function. I am very surprised that English sentences can be written so easily.The reason I write in English is because I've been listening to foreign music lately. I thought that this blog might be seen by foreigners in some way. I'm typing now, and I'm really surprised at the accuracy of the text displayed above.  

I am well aware that Japanese culture is highly regarded overseas, but as a Japanese living in Japan, I can see both the good and the bad of that culture. Japanese culture is completely closed. Since history is repetitive, the culture of a little while ago may be popular, but now I have a growing desire to come into contact with foreign cultures. That is why I am writing this sentence in English. 

Since it is a sentence that I thought about myself, it seems that it will be very useful for studying English to understand the meaning without translating it. It's the power of civilization. I also translate quite difficult Japanese properly. it's amazing. I would like to write an English blog on a regular basis.
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黒沢清監督作品 CUREについて  Directed by Kiyoshi Kurosawa About CURE

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こんにちは。この映画は僕が一番影響を受けている作品です。今まで何度も観ていますが、まあ格好良い映画です。最近「映画を書くと頭が疲れる」というブログでこの「CURE」について書かれていたのを読んで観ました。このブログには過去にも「CURE」について書かれたものがあってそちらも大変興味深く読みましたが、いつも映画を何かに関連付けて語ってくれるのが面白いです。高畑勲の「アニメーション、折りにふれて」で今村太平の「漫画映画論」について書かれたものを読むとこの「映画を書くと頭が疲れる」を書いている人も今村太平に影響を受けているような気がします。 

Hello. This movie is the one that has influenced me the most. I've seen it many times before, but it's still a good movie. Recently, I read and saw a blog about this "CURE" called "Writing a movie makes my head tired". This blog has written about "CURE" in the past, and I read that with great interest.When I read Isao Takahata's "Animation, Occasionally" about Taihei Imamura's "Manga movie theory", the person who wrote this "Writing a movie makes my head tired" was influenced by Taihei Imamura. I feel like.

 

2021 1120

今回観て気になったのは、カットを跨いで高部と登場人物の行動が繋がっていることです。どういうことかというと、二番目の事件の教師の家で教師が窓ガラスを破って飛び降りるシーン、この前のシーンは劇中に何度も出てくる空の洗濯機が回る高部が妻に抱く殺意の描写です。自然な流れで観ているとこの窓ガラスから飛び降りたのは高部の妻のようにみえます。また間宮を病院で捕まえるシーン、間宮を追い詰めた部屋の中で間宮の姿は無く、声だけが聞こえます。この演出もまるで間宮が存在せず、高部のもうひとつの人格であるような演出です。そして高部が転んで倒れこんだ時にカメラがパンして警察が部屋に入ってきます。これもまるで高部が捕まったような撮り方になっています。そして高部が間宮を留置所から逃がしたとされるシーン。この場面に至っては後に間宮が台詞で説明するまで高部が監視の警官を殺して留置所から抜け出すようにしか見えないです。今回観て感じたのは高部=間宮=文江という事です。間宮の記憶喪失と文江の青髭の本の下りで示される記憶喪失も同じです。あと関係ないですが、この映画の一番初めのシーン、文江の病院の背景に巨大な女の顔のようなものが見える気がします。最近諸星大二郎を読んでいて、「CURE」に出てくる登場人物と彼の作品に出てくる登場人物が似ているように感じました。この映画は何処のシーンでも夢の世界と隣合わせな気がします。それこそが全体に漂う不穏な空気というか、夢の世界を観ている感覚に近いです。そして役所広司が格好良いです。初めの方はどっちかというとコミカルな演技ですが、間宮と対峙してからストレスが無くなった空っぽの人間になってどこか空虚な演技になります。台詞の言い方もすごく好きで、少し噛みかけたぐちゃぐちゃした言い方とか気の抜けた喋り方とか良いです。

What caught my attention when I watched it this time was how the actions of Takabe and the characters are connected across cuts. What I mean by that is the scene in the second incident where the teacher breaks the window glass and jumps down. It is a depiction of murderous intent for his wife. If you look at it in a natural flow, it looks like Takabe's wife who jumped out of this windowpane.Also, in the scene where Mamiya is caught in the hospital, there is no appearance of Mamiya in the room where Mamiya is cornered, and only his voice can be heard. This production is also a production where Mamiya does not exist and is another personality of Takabe. Then, when Takabe falls and collapses, the camera pans and the police enter the room. This is also a way to shoot as if Takabe was caught. And the scene where Takabe is said to have let Mamiya escape from the detention center.In this scene, until Mamiya explains it later, it looks like Takabe is going to kill the police officer and escape from the detention center. What I felt when I saw it this time is that Takabe = Mamiya = Fumie. The same goes for Mamiya's amnesia and Fumie's amnesia shown in Aohige's book descent. Also unrelated, but in the very first scene of this movie, in the background of Fumie's hospital, I feel like I can see something like a giant woman's face.Recently, I was reading Daijiro Morohoshi and felt that the characters in "CURE" and the characters in his work are similar. Every scene in this movie feels like a dream world. That's the feeling of being in a dream world. And Koji Yakusho is cool.The beginning is rather comical acting, but after confronting Mamiya, he becomes an empty person whose stress has disappeared, and it becomes somewhat empty acting. I also really like the way he says his lines, and it's good to have The beginning is rather comical acting, but after confronting Mamiya, he becomes an empty person whose stress has disappeared, and it becomes somewhat empty acting.

 

20230202

濱口竜介黒沢清が対談している映像がYouTubeにあって、黒沢清がこの映画について色々と聞いたことのない話をしていました。あの冒頭の青髭の本は精神療法の一つとして、とてもオーソドックスなものらしく精神疾患を持った患者に本の感想を聞くというカウンセリングらしいです。主演の役所広司には事前にアッバス・キアロスタミの「そして人生はつづく」(1992)を観せてこんな感じに演じてくれ、と言っていたようです。またこの映画の企画は元々高橋洋とタッグを組んでいた復讐シリーズの続編を作る予定だったものが、大映のプロデューサーに一応こういう企画もあるんですが、と提案したのがこの「CURE」だったそうで、それが偉く気に入られて実現したようです。近年の黒沢清のインタビューとかを見たり読んだりしていると、あまり映画の一つ一つに深く意味を持たずに観てほしいのかな、と感じます。映画人なので、周りにそういう批評やら考察やらする人間が多くてうんざりしているのかもしれません。勿論照れ隠しでそんなことを言っている可能性もあります。ですがやっぱり謎は気になります。僕の中で一番の謎は一番初めの犯人を高部が見つけるシーンです。その場面は手前で警官達が指示をしており、その後ろの方で高部が同僚に促され外に出るのを制止して、不意に屈み込み、小窓のようなものを開けるとそこに怯えた様子の犯人が居る、という場面なのですが何故そこに居ると分かったのか一切説明されていません。一つ思うのはまた対談ですが、黒沢清高橋洋が「復讐 消えない傷痕」(1997)で主役の哀川翔が妻を取り戻しに敵地に赴いたとき哀川翔が「何処にいる」と尋ね敵が「知らない」と応えると「もう死んでるだな」と応えるシーンについて、これはつまりこの登場人物は神様程の力は無いが、普通の人間よりも少し神に近い存在で、物語の運命に知らず知らず介入してしまう存在らしいです。同年に制作された映画ですから、それを意識していた可能性はあると思います。

There was a video on YouTube of Ryusuke Hamaguchi and Kiyoshi Kurosawa having a conversation, and Kiyoshi Kurosawa was talking about this movie that I had never heard before. The book by Bluebeard at the beginning is a very orthodox kind of psychotherapy, and it seems to be counseling, in which patients with mental illness are asked about their impressions of the book.It seems that he told Koji Yakusho, the lead actor, to watch Abbas Kiarostami's "And Life Continues" (1992) in advance and to act like this. Also, the project for this movie was originally planned to be a sequel to the revenge series that I had teamed up with Hiroshi Takahashi. It seems that it was realized because it was greatly liked.When I read and read interviews with Kiyoshi Kurosawa in recent years, I get the feeling that he wants people to watch movies without giving too much meaning to each one. I'm a filmmaker, so maybe I'm fed up with the many people around me who critique and consider things like that. Of course, there is also the possibility that he is saying such a thing with embarrassment. But I'm still curious about the mystery. The biggest mystery for me is the scene where Takabe finds the first culprit.In that scene, the police were giving instructions in the foreground, and in the background, Takabe was urged by a colleague to stop him from going outside. There is a scene in which the culprit appears frightened by the crime, but there is no explanation as to why he knew he was there.One thing that comes to mind is the dialogue between Kiyoshi Kurosawa and Hiroshi Takahashi in "Revenge: Indelible Scars" (1997). Regarding the scene in which the enemy responds "I don't know" and responds "He's already dead", this means that this character doesn't have the power of a god, but he is a little more like a god than a normal human, and the story It seems that it is an existence that intervenes without knowing the fate of.The movie was made in the same year, so I think it's possible that he was conscious of that.

最近考えていること

こんにちは。今これを書いているのは2021年11月17日21時11分くらいです。時間についての悩みがあって、僕としては22時くらいから寝るまでの2時間くらいを漫画のために使いたいと思っているのですが、中々うまく行きません。一番の誘惑はやはりインターネットでしょう。最大の友であり敵です。最近の趣味は2006年くらいの2ちゃんねるの過去スレッドを読むことです。見るに堪えない下世話なものも中にはありますが、やりとりが平和な面白いものもあります。もっと遡って2000年くらいの草創期の2ちゃんねるは皆手探りでやっている感じがあって、微笑ましいです。当たり前のことですが初対面の人と話すので敬語を使っていることも新鮮でした。

 

昨日TVで「ぶらぶら美術館」が放送されていて、ゴッホについての特集が組まれていました。有名な話かもしれませんが、ゴッホ宮沢賢治には共通点があります。まず亡くなった年齢が同じです。そして死後名声が高まったことも同じです。少し前に同じくゴッホについての番組が放送された時に、頭の中でこの2人が重なりました。ゴッホが死んでから6年後に宮沢賢治が産まれているので、荒唐無稽ですが輪廻転生して同じ魂を持って生まれてきた、と考えると辻褄が合います。

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ロックマンエクゼについて

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こんにちは。何故これについて書こうかと思ったのかというと、「wizaman`s blog」というブログで「ロックマンエクゼ」について書かれていて、とても共感できたからです。ロックマンエクゼは以前から凄く好きでした。僕には兄がいるのですが、幼い時は兄が遊んでいるのを隣でよく見ていました。思えばゲーム実況の感覚に近かったのだと思いますが、直接遊ばなくても僕は結構面白かったのです。ロックマンエクゼの先見性や、洗練されたキャラクターデザインについてのスレッドはインターネットの掲示板でもよく目にしますが、僕も同意見です。冗談抜きに世界に通用するくらいのデザインだと思っています。分かりやすく尚且つ格好良くそして可愛くデザインされています。「ロックマンゼロ」のデザインも好きですが、あっちは世紀末の世界観に準えて、少しグロテスクにデザインされていると思います。どちらにも僕は物凄く影響を受けています。子供向けに作られているデザインは子供向けなので安易だと思われがちですが、実は相当難しいです。「wizaman`s blog」でも触れられていましたが、ゲームシステムも素晴らしいです。そして音楽。今これを書きながらYouTubeロックマンエクゼのbumを聴いていますが、近未来を彷彿とさせるテクノポップでしかもメロディーはどこか懐かしく切ないのが良いです。

 

もう一度デザインの話をすると敵のウイルスのデザインも素晴らしいです。それとネーミングも良いです。またシリーズを重ねるごとに当たり前ですがブラッシュアップされていのも良いです。こんなに良いゲームを作れた時代があったのですね。今からたった20年くらい前ですが20年ですっかりゲームは変わってしまいました。技術は進歩しました。しかしこういったゲームはもう現れないのでしょう。なんというかドットのグラフィックの温かさというか、見てすぐにゲームの世界だとわかるその潔さみたいなものに僕は凄く惹かれます。今の技術でロックマンエクゼの世界を再現してもやはりこれを作っていた当時のクリエイターが描いた世界には追いつけないのでしょう。最近少しネガティブなのですが、今の我々は確実に想像力を失いつつあると思います。だって考えるよりも先にもっとリアルな映像が2次元の世界にあるわけですから。なんだかつまらない世の中になってしまいました。

諸星大二郎 グリムのような物語 トュルーデおばさんについて

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こんにちは。諸星大二郎面白いです。今まで何故読まなかったのか、多分絵の雰囲気が好みと合わなかったからなのですが、読んでいる内に慣れてきます。絵は下手な訳ではなく、恐らく影響を受けている作品から来ている描き方なのでしょう。こういうラフスケッチのような絵の描き方は宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の漫画版にも似ています。少し調べれば出てきますが、宮崎駿諸星大二郎の影響を受けていることを公言しているので間違いないと思います。グリム童話を新たな解釈で再構成している本作は、メジャーな「赤ずきん」「ラプンツェル」からマイナーな「夏の庭と冬の庭」「トュルーデおばさん」など全8話収録されています。童話はこども向けのものなので、時代により改変されていきます。中には残酷な結末のものも少なくありません。僕も幼い時にアンデルセンの「赤い靴」を読んでとても怖かった覚えがあります。「Gの日記」はラストのタイトルの伏線の回収が見事でした。「赤ずきん」はミステリーの常道ですが、初めに怪しい人物を出してミスリードさせる展開で結末に驚きました。諸星大二郎について調べていると沢山他の作家の名前が出てきてます。凄く良いです。スーザン・ピットの「アスパラガス」やアンリ・ミショーの「幻想旅行記」など知らなかった作品を知ることが出来て嬉しいです。 

僕が一番気になった話は「夏の庭と冬の庭」という聞き慣れない童話です。調べると「美女と野獣」の原型になった話みたいです。僕もまだ明確な答えを得ていないのですが、とりあえず書きます。まずこの話はラストの落ちから考えると、中世の話に見せかけた、あるいはその夢をみている現代の娘の話になっています。それは分かるのですが、奇妙なのがこの落ちが2回出てくることです。普通このような場合は最後に驚かすために1回しか見せないものですが、この話は何故か2回出てきます。必ず意味があると思います。作中の台詞から、恋の魔法が解けることで獣は王子になり、そして現代の若者に変わります。変わり方も着ぐるみを脱ぐような変わり方なのも気になります。今思いつくのは恋愛における気持ちの変遷を表したのではないか、というぐらいです。つまり初めは好きになって一度嫌いになり、また好きになってとうとう恋が終わる、ということです。

2021 1117
もうひとつ買っていた「栞と紙魚子と青い馬」もとても良いです。ストーリーの構成が伊藤潤二と似ていて、伊藤潤二が相当影響を受けたことがわかりました。「瓜子姫の夜、シンデレラの朝」も面白いです。今回読んでみて諸星大二郎の凄さがやっと分かりました。バックグラウンドに膨大な知識があるからこそ、ふざけることができます。あと原作のある話を再解釈して作るのが好きなようです。デビュー50周年記念のインタビューでこの「トュルーデおばさん」が自信作と何度も発言していたのを後になって知って良い買いものをしたな、と思いました。

最近考えていること

こんにちは。100本目の記事になります。僕がブログを始めたのは2021年5月24日だったので、半年位経ちました。ブログを始めたきっかけはあまりにも考えていることが日によって変わるので、記録するために始めました。ブログを始める前にも僕は映画を観たり音楽を聴いたり漫画を読んだりしていたのですが、ブログを始めてからはブログに書くために意識してそれらを行うようになりました。ブログを始めたのはとても有意義だったと思います。例えばブログでなにか言葉を使う時に、意味が合っているか、またどういう意味か調べたりします。それに感想を書くことは、一度頭を整理して話を組み立てる練習にもなります。

最近思うのは僕は現代の文化があまり好きではない、ということです。SNS文化もそうですが、アニメーションも映画も音楽もあまり好きなものがありません。それには幾つか理由があるのですが、ひとつは僕が影響を受けるものを意図的に取捨選択していることがあります。それは漫画を描くことに関係しています。今のSNSの状況を考えると人の考えた方が均一化されているように感じます。僕は人と同じ事をしたくないので、自然とSNSから遠ざかりました。そして歴史が好きなことも原因のひとつです。未来は分かりませんが、過去は絶対にあります。しかも2021年現在から僕が一生懸かっても知り尽くせない情報が無尽蔵にある訳です。僕はまず過去を知れるだけ知ってから現在の文化を知りたいのです。懐古主義という言葉がありますが、僕は完全にそれです。最早否定もできません。現代のテクノロジーに囲まれた生活にはうんざりしています。と言いながらばっちりハイテクなアイテムを駆使しています。この矛盾を解消したいなと思っています。僕が現代の文化に馴染めない原因はその問題意識をあまりにも皆が持っていないように見えることにあります。使っているという事実は同じでも、それを意識しているか否かは大きなことです。

買って読んでいない本が減りません。創作意欲は減退しています。何とかしたいのですが、何ともなりません。100本目にして愚痴のようになって嫌なのですが、とても悩んでいます。僕も良い年齢になってきたので、そろそろ恋人を作って家庭を持ったりしたいと思うのですが。実は悩んでいるのはその兼ね合いです。そんなことは関係ない、芸術家として生きていくのだ、という自分と、日本国民として結婚してこどもを作ることは大切だよね、という自分がいます。まあ恋人を作ることから始めないといけませんが。幼い頃は社会と自分の距離は限りなく離れていたのですが、社会人になり働くようになって社会と自分が重なるようになりました。今の大人の大半がそうだったように僕も結婚してこどもを持ちたいと思っています。まあ頑張ります。
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2021 1115
本当にあった怖い話が昔から好きなのですが、何が良いかというと、演出が良いです。監督は鶴田法男です。勿論本当に怖い話も沢山ありますが、年を経て僕はほろっと来る話の方が好きになってきました。好きな話を挙げると「潮騒の夢」「季節外れのおくりもの」「影の同調」「本が招く幽霊」「病棟の夜」とかが好きです。演出が優しい、というか海外のホラーのようにジャンプスケアでガーンと大きな音で脅かすのではないのが良いです。元々人間が幽霊になるには死が付きものですから、自然と哀しい話になるはずなのですが、エンターテインメントとしてのホラーはそれでは怖くないので、色々と理由を付けておどろおどろしくします。僕はもうホラーを観ても怖いと思うことは殆ど無くなったのでそういう派手なものより、むしろ幽霊がただ何もせず佇んでいる姿に心を打たれたりします。それと出てくる女の子が皆可愛いです。これもホラーでは重要ですね。

最近考えていること

こんにちは。最近「新耳袋」を観ました。こういうオムニバス形式の話は結構好きです。しかも映像が実験的で観ていて作り手の熱意が伝わりました。説明足らずな終わり方もありましたが、それも現代怪談を採集して作られた経緯などから、本当にあった感じを出しています。その関係でATGについて調べました。簡単にいえば、ATG(日本アート・シアター・ギルド)とは60年代から80年代くらいに盛んに作られた非商業主義の前衛的な映画です。映像作品はその対象が在れば何でも撮れるので、一見簡単そうですが、だからこそ何を撮るかが難しく、そしてそれが肝心です。これを機会に大島渚とかも観たいです。

フランス語は最近勉強していませんが、英語の翻訳の勉強にYouTubeで英語の漫画のレビューを見てみました。僕が見たのは大体女性だったのですが、皆とても早口で、字幕を読んでも全く脳の理解が追いつきません。外人の喋り方はまるで歌っているかのように抑揚があります。高畑勲の「アニメーション、折りにふれて」でも書かれていましたが、日本語は元々他の言語に比べて身振り手振りが少なく、淡々と口をあまり動かさない言語だということが、改めてわかりました。そして女の子がすることは万国共通なんだな、とも思いました。
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2021 1112
ゲイリー・ムーアが好きなのですが、色々調べるとギターの腕前は超一流ですが、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンなどのギターヒーローになれなかった不遇の人だったようですね。僕はギタープレイは勿論ですが、叫ぶような歌い方が好きです。不思議なもので万国共通に気取った歌い方は聴いて分かります。僕は別に正確な音程や美しい歌声でなくても、一生懸命歌っているほうが好きなので、ゲイリー・ムーアの歌声が好きです。マシンガンピッキングの時の苦しそうな顔も良いです。泣きのギター良いです。