こんにちは。金高堂でようやく見つけて買いました。探していた本を見つける感覚は正にその本と出会う、という表現がピッタリです。一度児童文学のコーナーを探して無かったのですが、帰りがけもう一度だけ、と探しているとひょっこりと現れました。いや嬉しいです。別に本屋で本を探さなくても今の時世ならインターネットで買えますが、わざわざそこの本屋に足を運び、見つけて買うことに意味があるのです。「いやいやえん」を何故読みたかったのか、高畑勲の「アニメーション、折りにふれて」という書籍の中に「石井桃子さんから学んだこと」という宮崎駿との児童文学についての対談が入っていて、その中でこの中川李枝子の「いやいやえん」についても語られているのを読んで、いつもの様に読みたくなりました。この対談が結構面白く、高畑勲と宮崎駿の友達のような師弟のような関係性も垣間見れますし、こどものために作品をつくる、ということがどれだけ難しいのか、実際に「アルプスの少女ハイジ」などを作った当事者が、語り合っている言葉にはとても説得力があります。
今回は書くにあたり他の方の感想をかなり読みました。やはり児童文学はこどもに向けて作られているものなので、こどもがどういうふうにこの本を読んでいるのか、それに合わせて児童文学とはどういう役割を担っているのかを考える契機になりました。僕自身が小さいときに読んでいた本で覚えているのは寺村輝夫「かいぞくポケット」シリーズ、原ゆたか「かいけつゾロリ」シリーズ、穂高順也「さるのせんせいとへびのかんごふさん」などです。
2021 1021
少し時間を置いて読みました。表題の「いやいやえん」とはわがままなこどもがいくところです。片付けしない積み木やボールたちが出ていくことなどから、少し次元が歪んだパラレルワールドかもしれません。中川李枝子は保母の経験からこの作品を作ったそうです。普通こういう寓話的な話は起承転結がしっかりしていて、最後に意地悪なこどもは反省して終わりますが、この「いやいやえん」では明確な終わりがありません。そこがリアルに感じます。僕自身こんな風に、というか誰しもこんな風にいやいや、と駄々をこねたことがあるでしょう。その時のこどもの気持ちは本当にいやな訳ではなく、なにか思い通りにならない怒りを変換しているだけです。そんなこどもたちが行く「いやいやえん」ではなにをしても怒られません。こどものときに理解している世界は本当に狭くて、そんなときにルールを守ることの大切さは分からないと思います。なのでこの話のラストは主人公のしげるちゃんが「いやいやえん」での経験からルールの大切さを学んで、元のちゅーりっぷ保育園に帰る、という教訓的な終わりではありません。そこが良いですね。