黒沢清監督作品 降霊について

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こんにちは。突発的に観てしまいました。なんとなくYouTubeを観ていて、黒沢清の映画がアップロードされていて、それでなんとなく最後まで観ました。思えば一番初めに観た黒沢清監督作品はこの「降霊」だったように思います。インターネットかなにかで調べた情報で霊能力者が選ぶ最もリアルな幽霊が映っている映画でこの「降霊」が一位に選ばれたらしいです。僕は何度も観ているので特に恐怖はなく、むしろ他の事に気がいってしまいました。まず台詞が少ない映画です。BGMも時々入る感じで、自然と映像に集中します。主人公の佐藤(役所広司)はTVの音響効果の仕事をしています。別にこの仕事でなくても成立しそうな話なので、なにか意味があると思います。BGMが時々入るのは、佐藤の心理状態に関係しているのかも知れません。この作品は原作があります。マーク・マクシェーンの「雨の午後の降霊術」です。他の方のブログを読むと、原作では初めから夫婦は女の子を誘拐し、有名になることを計画していたようです。この映画では止む無くそういう結末になっていくのですが。

他の方の感想でも散見されましたが、幽霊よりも佐藤順子(風吹ジュン)の本音、というか今までも会話の節々に現れていた「なにかあると思っているから一緒に暮らしていたのに」「このままなにもしないで、ただ歳とって終わっちゃうの」「どうしていつも肝心なところで私の足を引っ張るの」など、年老いた夫婦の閉塞感、みたいたものが恐ろしいです。観ていて黒沢清の話の作り方のスタンダードはこの映画にあるような気がしました。妻を探しに行くシーンは「CURE」ですし、遺体を埋めるシーンは「LOFT」、ラストの地下でのシーンのなにかを探していて後ろから現れるシーンは「回路」です。分身は「ドッペルゲンガー」ですしね。