周防正行監督作品 それでもボクはやってないについて

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こんにちは。正に八方塞がりな映画です。凄い映画です。そして男性にとっては恐い映画です。この映画のひとつのテーマは劇中に役所広司演じる弁護士の荒川が台詞で言っています。つまり疑わしきは被告人の利益に、司法裁判の推定無罪の原則が痴漢冤罪事件の場合は、推定有罪で話が進むということです。正直これだけの話を観せられると、満員電車に乗りたくなくなります。観客である我々は主人公の金子徹平(加瀬亮)が無実であることがわかりますが、もし自分があの電車に乗っていてあの現場を目撃していたら、どうだろうと考えるとやはり泣いている女の子の方に同情します。群集心理、とか言いますが、女の子に痴漢、と言われた時点でその場の大人たちに一気に卑劣な犯罪者とか弱い女の子、という一つの共通認識が生まれます。この大きな流れには最早為す術がありません。この映画には幾つかターニングポイント、みたいなものがあって、主人公が選ぶべきだった道は、当番弁護士や担当刑事の言うように直ぐに認めて略式で罰金を払って誰にも知られずに出てくるしかなかったのでしょう。他にも途中で裁判長が変わる所もそうです。そこの演出がよく出来ていて、司法研修生みたいな学生たちにその裁判長が事務室で、司法裁判の最大の使命はなにか、と尋ねるシーンがあります。ここで無罪の人を有罪にしてはならない、と教えるのですが、そこで後に替わる裁判長が映り込んでいます。何度も書きますが、観て心晴れる娯楽映画ではありません。恐らく監督の周防正行もそのように作っていませんし。主人公の加瀬亮の演技も本当に素人がいきなり巻き込まれた感じを良く表現しています。叫ぶ時に声が上ずるのとか、普段は大声など出したことのない青年が必死で無実を訴えるのは観ていて辛いです。しかしなにがこの映画の一番恐ろしいかといえば、被害者である女の子や事件の関係者たちが嘘をついている訳ではない、ということです。勿論刑事や検事は起訴した以上は有罪にしようと画策していますが、そうでなくて例えば目撃者の太った男や、駅の駅員、被害者の女の子などは本当にそうだと思っているということです。書いてみて訳がわかりませんが、つまりその痴漢した瞬間の真実は誰にも解らないということです。

今回何故この映画を見返したか、というと最近瀬戸弘司の「lost judgement」とというゲームの実況を見ていて、この映画を思い出したからです。出演者も結構重複しているので、影響を受けていると思います。ゲームですが、ストーリーは意外と面白いです。というとゲームを侮っているみたいですが、やはりゲームは快楽原則のものなので、あれこれ考えるよりもやって楽しい、とかストレスを発散させるのが第一の目的だと思っているのでそう書きました。まあでも最近は全然ゲームをやってません。僕の好きなゲームタイトルは「MONSTER HUNTER」シリーズとか「ゼルダの伝説」シリーズ、「METOROID」とかが好きでした。最後にどうでも良いことを書きました。