アリ・アスター監督作品 ボーはおそれているについて

こんにちは。やっと観れました。何から書いたら良いのか分かりませんが思いつく感じで書いてみます。まず本作は非常にロングショットが多いです。旧き良き映画と言っても良いかもしれません。この時点で僕はもうこの映画を支持したいです。おこがましいですが僕も最近の映画は全体的にカメラが近過ぎると思っていたのでそこがまず良かったです。それからこれも最近の映画に言えることですが画質が綺麗過ぎて個人的な意見ですが普通のシーンでも裏に何かあるのではないかという不穏な予感がつきまといます。映画がフィルムの時代もフィルム特有の映像の質感があったと思いますがその違和感には慣れてしまっているというかそれこそが映画だという意識があってデジタルの妙に綺麗な画質が逆に嘘っぽく見えます。しかしアリ・アスターはそれを理解してわざと嘘っぽく撮っている気がします。この映画は夢と現実が入り交じるというか僕は本当は全編夢だと思っていますがその設定にピッタリな演出です。それから風景のショットはカメラのピントが真ん中に合って両端がボケているのが多かったです。映画の冒頭ボー(ホアキン・フェニックス)とセラピストが語り合うシーンは黒沢清の「CURE」(1997)の冒頭に似ていました。最初の舞台の街はまるでジョン・カーペンターの映画みたいないや流石に外国でもこんなに治安悪くないだろうというような無法地帯でした。次の夫婦のパートはロブ・ライナーの「ミザリー」(1990)みたいになるのかなと思いましたがもっと錯綜してロマン・ポランスキーの映画のように何が夢か現実か分からなくなっていきます。その先に森の演劇の一座のパートがあって更に夢から夢に入っていきます。黒澤明の「夢」(1990)の「鴉」のような実写と絵というかアニメーションを合成した映像とおとぎ話のような話に正直戸惑いました。そして「ミッドサマー」(2019)でもありましたが上下反転した映像でボーはようやく家に帰り着きます。そして父親と恐らくその父親の大きな男性器の怪物が出てきてボーは初めて能動的に行動して母親の首を絞めて夢の中の裁判でボーは溺れ死んで物語は終わります。いや意味不明ですね。しかしこの映画に恐らく意味は無いと思います。勿論全編通して観たあとに色々符号することはありますがそれは意図して出来たものではない気がするのです。なので僕が勝手に感じたことを書きます。僕が思ったのは水が1つテーマとしてあると思いました。この映画でボーが一番初めに明確にアクションを起こすのはセラピストから貰った薬を飲むのに水が無かったからです。そして風呂場で上を見上げると何故か上に男が張り付いていて揉み合った挙句に裸で外に出て跳ねられます。夫婦の娘が自殺する場面でも娘はペンキを飲んで死にます。そしてボーが繰り返し見る夢は風呂場ですし何よりもラストのあの夢の海のシーンです。あれは恐らく岩壁の空洞から考えて母親の胎内だろうと思います。これは僕もちゃんと見ていなかったのですがコロシアムのような場所に観客が沢山居るのですがそれが全部男だったのかどうかもし男ならばそれは多分精子であの母親が卵子なのかなとか思いました。一番最後のシーン観客席の真ん中にライトがあってそれはまるでスクリーンを鏡として映画館を反転して映しているようです。アリ・アスターはやはり映画という構造を意識して作っています。初めに引っ掛かったのは最初の街で警官が裸のボーに向かって頼むから撃たせないでくれと言うシーンです。これは明らかに脚本や物語の存在を匂わせるメタフィクション的な発言です。そして次の夫婦の娘とその友達が車の中でボーに煙草を吸うように命令するシーンも物語という大きな力が2人を動かしているようにしか見えません。止めはその夫婦の家のテレビにその後の映画の展開が映っていてこれは少しミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」(1997)を思い出しましたがやはり映画の映画であることは間違いないです。あと時間経過の表現が同じ構図で瞬間的に切り替わるという明らかに編集ですよみたいな方法だったのもこれは映画ですよというメッセージだったのかなと思いました。他にも現代の若者がスマートフォンで何でもすぐ撮影することや他人の悪意が増幅する恐ろしさなどもありました。面白かったのはセックスのシーンではぼかしをかけている癖にいやそのフリのためにわざとぼかしをかけたのかもしれませんがこの映画はあの男性器のモンスターをやりたかっただけのような気もします。あと屋根裏に何かが居るというのは確か「ヘレディタリー/継承」(2018)も最後屋根裏だったと思うので屋根裏がある外国の家ならではの恐怖体験から来ているのかなと思いました。いや一気に書いて疲れました。今日は久々に昼間に映画館に行って人がいっぱい居たのですが皆「ゴールデンカムイ」(2024)の方に行って「ボーはおそれている」(2024)は僕も含めて10人くらいでした。何か悲しいと同時にこれが世間なんだなと思いました。

20240226

もう一つ気になったのはをガラスを隔てた向こうに恐ろしいものがあるという演出です。最初のホテルで窓の外で目を潰して笑っている男が居たりコンビニから出た後もガラスの扉を隔てた向こうで大勢の人間がエレベーターに乗り込む様子が見えたりその後家の中を見るときもやっぱりガラスを隔てた向こうに気が狂ったパーティがあったりします。次の夫婦のパートでは家に居る患者の男がガラス越しにこちらをずっと見ているのが繰り返し出てきます。これは恐らく映画館を意識して安全な場所から恐ろしいことが起こるのを眺める観客とスクリーンとの関係を再現していると思います。