黒沢清監督作品 蛇の道について

こんにちは。いきなり感想を書くと僕が観た黒沢清の映画の中でも相当難しい映画だなと思いました。いや難しいというか僕はオリジナルの「蛇の道」(1997)も観ていて話も分かっているもっと言えば結末も分かっている状態で観ましたが全て観終わった後にこの映画は何だったのかと考えると良く分からない映画でした。面白いと思ったのはアリ・アスターの「ボーはおそれている」(2024)と同じように映画の構造を思わせるような台詞や展開があって黒沢清がこの「蛇の道」(2024)を撮影している時に「ボーはおそれている」を観ている訳は無いので今世界的に優れた映画監督がその題材に注目しているのかなと思いました。一番それを感じたのはアルベール(ダミアン・ボナール)がでっち上げられた男(スリマヌ・ダジ)を撃ち殺すシーンで同じ構図でカットが変わるシーンがあってこれは編集の存在を示しているシーンだと思います。不思議だと思ったのは序盤の方でいきなりテロップで3ヶ月前と入り小夜子(柴咲コウ)とアルベールの出会いの回想シーンが差し込まれるのですがすぐに時間は現在に戻ります。僕はオリジナルの謎の数式を地面に描いているシーンがこれに当たるのかなと思いました。このシーンのカメラワークが完全に小夜子の視点になっていてその後も繰り返しこの回想の白い病院は現れるのですがそれはまるで小夜子の夢の世界のようです。今公式のホームページを見て西島秀俊の役名が吉村になっていて途中の病院の首を切って自殺した遺体はやはりあの患者だったようです。この映画は何というかカメラもよく動いていてワンカットで長回しのシーンもあり話も面白いのですが大切な何かが欠落しているような観終わった瞬間にうわ終わったんだと茫然とするような映画です。黒沢清がこんなにピンボケの映像を使うとは思いませんでした。なので全編通して非常にお洒落な仕上がりです。それから気になったのはカメラがズームする時にノイズのような音が入っているシーンがあったことです。また人間が歩くシーンが多いのはフランスなのでやっぱりロベール・ブレッソンの「ラルジャン」(1983)を意識したのでしょうか。今日は3ヶ月ぶりくらいに映画館に行きました。外が死ぬほど暑かったので非常に快適に館内で鑑賞しました。公開日の翌日に映画を観たのも初めてですし何なら黒沢清の映画を映画館で初めて観ました。良い体験でした。

20240617

昨日観た「蛇の道」を今思い返しています。小夜子(柴咲コウ)の家のルンバはシステマチックに復讐する小夜子の象徴として機能している気がします。小夜子と吉村(西島秀俊)との会話で終わることよりも終わらないことが恐ろしいみたいな話がありそれは映画という世界を小夜子が認識しているからでしょうか。実は前日に本作についての黒沢清のインタビューを読んでいて小夜子のキャラクターについてオリジナルの哀川翔が余りにも無機質な感じだったので感情が出るようにしたみたいな話を聞いていたのですがそれはあまり感じませんでした。でも確かに警官に対する振る舞いとかは凄く自然でした。しかし家での小夜子や医者としての小夜子復讐に手を貸す小夜子は一貫して無機質な機械のような印象でした。しかし良いなと思ったのは小夜子が普通の女性として描かれているところでそれはでっち上げた男(スリマヌ・ダジ)に襲われたら抵抗出来ないというシーンに表れています。この辺りのバランスは流石という感じです。もう一つ重要なのはパソコンのモニターでしか登場しない小夜子の夫の宗一郎(青木崇高)の存在です。普通に考えれば画面越しの関係というコロナ禍の時代を想起させるまたは夫婦という関係の近いようで遠いような曖昧さを視覚化したみたいなところだと思います。僕はオリジナルを観ていて話が分かっている状態だったのですが確かにこれを初見で観る人はかなり衝撃を受ける気がします。昨日ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」に似ていると書きましたが1日経ってもっとそう思うようになりました。ラブシーンも一切なく最初から終わりまで陰鬱な格好良い映画でした。