楳図かずお わたしは真悟について

こんにちは。「漂流教室」(1972)が面白かったのでamazonで頼みました。Wikipediaや巻末の呉智英の解説でかなりハードルが上がったのですが、1巻を読んだ感想は絵が少し崩れている気がしました。この「わたしは真悟」(1982)は「漂流教室」から10年後に描かれた作品ですが、つげ義春っぽい顔のキャラクターが増えたというか、絵そのもののクオリティは上がっているのかもしれませんが、全体としてチグハグな印象を受けます。しかし話は確かに凄いです。機械のモノローグが全て過去形なのが気になります。何でもないアクションを過剰に演出すること、それは話だけでなく絵の描き込みとかにも言えることですが、理解が及ばない凄いことが起きている感覚があります。特に2巻のAPT6「マ・リ・ン」のラストとかは恐怖に近い感情を覚えます。他の方のブログでも触れられていましたが子どもを神聖視している傾向があり、楳図かずおピーターパン症候群の気があるのではないかと疑うほどに、子ども=純粋大人=不純という図式が見えます。でも面白いのはそんな純粋な子どもでも子どもの作り方や結婚などの大人の不純さに知らず知らず向かっていく運命と、それに抗うまりんとさとる(作者)です。残虐な描写や見せ場の時の絵が普通の所と比べて明らかに気合が入っていて上手いです。

20230330

今4巻まで読み終わりました。いや凄いことになっています。読んでいて鳥肌が立つ瞬間がありました。特にゴミ捨て場でここも理論は不明ですが、たまたま通りがかった取立屋と借入人のいざこざでロボットが覚醒するところとか、さとるとまりんの絵を描いてその間に赤ん坊の絵を描くところとか凄かったです。この漫画の感想をいくつかのブログで読みましたが、序盤のクライマックスに位置する東京タワーから飛び移るところまでが良かった、みたいな感想を読んだのですが僕はその後の展開の加速ぶりに圧倒されました。なので僕はまりんがイギリスに行ってからの話の方が好きです。呉智英も解説で言っていた通りタイトルの「わたしは真悟」の謎が明かされるのは3巻の終わりで、実は1巻を読んで挫折した人も多いのではないかと思います。実は僕も最初1巻で詰まっていた口だったのですが、読み進めると徐々にのめり込んでしまいました。読んでいて本当に楳図かずおの作劇の恐ろしさを感じて、狂った確信を持って話が展開していきます。何というか全然流暢な語り口でもなく話も無理やりといえば無理やりなのですが、とにかく作者の熱量が画面に漲っていてよく分からないけどとにかくヤバい、となります。この辺りが永井豪とかに似ていて少し幼稚なように見せて実は哲学の本質を突いています。また映画監督でいえば高橋洋にも似ています。人外のものが知能を得ていく話は沢山ありますが、この漫画の場合作者の視点が凄く高い、または遠いところにあって、ロボットに対する感情移入とかを排除して、遥か先の展開を見越して今があることを感じます。まず言葉があった、みたいな台詞があってこれは所謂ロゴスのことを言っているのだろうと思いました。楳図かずおは本当に凄い作家だったのですね。全然知りませんでした。

20230404

6巻まで読みました。まりんがイギリスに行ってからの展開は確かに違和感があります。5巻の始まり方は読んでいるのが「北斗の拳」かと思いました。急に日本に対する不信感が噴出したように、物語が1980年代前半のバブル期の直前の日本に警鐘を鳴らすかのような内容になっていきます。楳図かずおに限らずですが、古い作家ほど未来に対するネガティブなイメージを内部に強烈に有していて、この「わたしは真悟」のメインキャラクターである真悟のビジュアルがよく分からない工業製品なのは、何というか人間が使役している筈の機械がいつか復讐するのではないかという恐れが根底にあるのではないかと思います。または戦時中から戦後にかけて今ある価値観がひっくり返ることを経験している世代だからこその発想という感じもあります。普通に考えてこの物語の内容からしても真悟のビジュアルはもっと人間的なそれこそ手塚治虫の「鉄腕アトム」(1952)のような人型でも良かったものを、如何にも工業製品であるような姿にしたのもこの漫画の混沌とした世界感に拍車をかけています。作者が当時何処まで理解してこの漫画を描いていたのか知る由もないですが、何度も書いているようにある種の狂った確信がずっと漫画に纏わりついていることが素晴らしいです。

20230405

7巻まで読みました。この頃思うのは伏線というものは綺麗に回収するよりも多少強引に回収したほうが運命の持っている理不尽さみたいなものが出るのかなと思います。1話から扉絵で繰り返し示されていた「奇跡は誰にでも一度おきるだがおきたことには誰も気がつかない」という言葉は6巻の「永遠が生まれる」のコンピューターの意識が具現化したあの瞬間のことを指しているのだろうと思われます。ここの首がちぎれる場面とかラストの文字が重要な意味を持つところとか庵野秀明楳図かずおの影響を受けている気がします。正直展開は最後かなり錯綜していますが、最早原始生物のような風貌の機械が人間のために動く姿は感動します。ここまで書いていてやっぱり庵野秀明は相当影響を受けている気がします。