高畑勲監督作品 柳川堀割物語について Directed by Isao Takahata About Yanagawa Horiwari Story


こんにちは。この頃ようやく秋の気配を感じるようになりました。朝晩と少しづつ肌寒くなってきてなんか嬉しいです。この映画もずっと観たかった映画の一つでした。冒頭の舟で柳川の世界に入っていく美しい映像から始まるこの映画は、同じく舟で柳川から出ていく映像で終わります。また音楽が「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968)でもそうだった間宮芳生で、切なく抒情的な音楽が映像に華を添えます。細かいことですが高畑勲におけるナレーションの使い方はかなり計算されている感じがあって、最近また「じゃりン子チエ」(1981)を観ていますが、中山千夏演じるチエちゃんと、永井一郎演じる小鉄、表敦夫演じるお好み焼き屋など、かなり意識的に場面に応じ使い分けてナレーションを入れています。この「柳川堀割物語」(1986)でも男性と女性が交互に入れ替わってナレーションを吹き込んでいて、観客の興味を持続させることに繋がっています。最後のエンドロールのところで1985年から1986年にこの映画を撮った、ということが書かれていましたが、この1980年代後半の普通の日本人の生活の映像を観れること自体かなり歴史的価値があります。というかそれを記録するためにこの映画があるような気さえします。今から40年くらい前のことですが、何というか文化がまだ上の世代のものだった時代だな、と感じました。恐らく50代から60代くらいの大人が生き生きと祭りにしても、仕事にしても中心に取り仕切っていて、若い世代はそれをちゃんと受け入れていた良き時代です。今はそれが完全に覆り、女性と子供が中心となった文化になってしまいました。これは完全に個人的な意見になりますが、丁度こういう資料映像のような映像を観たかったということもあってとても興味深く観ました。昔、理科の授業の時にこういう資料映像のようなものを観た記憶がありますが、それにもいえることでドキュメンタリー調に撮ってはいるのですが、所々少しだけ演技のようなものが入っています。

2022 0828
内容について書いておくと、序盤は柳川の堀割の利水システムの合理性と、水と人間との歴史、そして終盤その柳川の堀割を守った広松伝の話を中心に展開していきます。近代的な下水道や暗渠などは、文字通り水の流れを見えないものして、水がどこから運ばれまたそれがどう処理されるのかを我々に考えないようにしてしまいました。柳川だけに限らず、かつて我々の祖先は水と本当に上手く付き合っていたのですね。特に柳川の堀割の話で面白かったのは矢部川というたった一本の川から水を引いている話です。それぞれのブロック毎に色々な水路を作るのですが、ブロックとブロックを繋ぐ水路は一つだけに絞ることで、水量のコントロールを図っています。それぞれの箇所に堰が設けてあり、必要に応じ堰でもたせたり、雨が降って水位が上がれば、堰を切って田んぼに引いたりして上手く水を循環させています。堀にかかる橋もV字に下側が突きだす形になっていて水の流れをスムーズにする役割を果たしています。そして高畑勲のダムについての否定的な姿勢も面白かったです。広松伝司馬遼太郎の小説の主人公のような伝説的な男です。昭和50年、国が国庫補助金を出し、柳川の堀割を埋めてU字溝を敷くというようなプロジェクトをたった一人で覆す、という映画のような本当の話を成し遂げる行動力は凄いです。この映画を観てから、身の周りの川のことを意識して生活するようになりました。当たり前といえば当たり前ですが、今は水道管から水を得ている我々もかつては川から水を得ていた訳で、昔の地域になればなるほど川を中心にして村は発達しています。そして車で走っていると、国道も川の近くを通っていることが多いです。普段から身近に綺麗な川があり過ぎるせいで、忘れがちですが綺麗な川がある理由は、それを維持している人達がいるからです。それを改めて感じました。