高畑勲 アニメーション、折りにふれてについて

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こんにちは。やっと読み終わりました。ゆっくり時間をかけて読みました。高畑勲のものの考えた方とかが好きです。尊敬しています。高畑勲の葬式で宮崎駿高畑勲と出会ったことで得た教養や経験について涙ながらに語っていました。一度でいいから会ってみたかった人です。鈴木敏夫のインタビューでの発言や、製作現場での数々のエピソード、ドキュメンタリーの「かぐや姫の物語はこうして生まれた」での様子などから、かなり気難しい人であったようです。僕は作品でしか高畑勲の思想や演出を感じられないので、そこに至るスタッフの苦労は見えませんが、出来上がった映画を観ると、クオリティーを保つために相当な人間が犠牲になったと思われます。本書で特に興味深かったのは竹取物語について書かれた項です。僕が「かぐや姫の物語」で感じた消化不良の原因が正に書かれていて、とても納得しました。つまり、竹取物語かぐや姫というこの世のものとは思えない美しさを持った幻のような女性を理解したい、ができないという話です。意図的に感情移入できないように作られていた訳です。そしてそこにこの話の本質がある、と語られます。他にも、日本語の発音法が海外と比べて単調なことや、日本のアニメーションにおける主観的で観客を巻き込みキャラクターに感情移入させて感動させる、という発展に対する批判が繰り返し出て来ます。ipad高畑勲も調べ物をすることに驚きました。

この本を読んでフランスに憧れました。フランスは黒沢清も言及していますが、本当に芸術を国家的に保護している国で、例えば文化予算という芸術のための国の予算が日本の10倍位あります。映画関係の仕事に限っていえばそのお金のおかげで仕事をしていない時期にもその予算にプールされたお金から引かれて飯が食っていけるそうです。だからこそ今でもパリは芸術の都、と呼ばれます。僕は外国に行ったことがなく、初めて行く外国はフランスに行くと決めました。フランス語の翻訳を勉強したいです。