スマホ依存について

こんにちは。6月は漫画を頑張ると宣言したものの、やはり挫折しました。でもいつものことなので別に気にしていません。ひとりでしていることなので、そもそもしたくもないのに出来ることではないのです。なので如何に自分の心をマインドコントロールするかが重要になっていきます。そのために図書館にいって、漫画以外できない状況に無理矢理自分を置いたりするのですが、平日は時間がなく家でするしかありません。話が逸れましたが、最近スマホ依存について考えています。僕自身、スマホに依存していると思います。スマホがないと生きていけないほどではないですが、やはりスマホは便利です。僕は大体、youtubeか音楽かネットサーフィンくらいにしか使いませんが、家に居るときはずっとなにかしらのメディアを使っています。僕は古い時代に憧れがあって、スマホに対して普通の若い人よりは懐疑的なイメージをもっています。やはり街でみな下を向いてスマホをいじっているのをみると、なんともいえない気持ちになります。しかし科学は不可逆的なもので、もう前の時代には戻れないのだろうと思います。こういうことを考えるとやはり今のこどもが成長した時のことを考えてしまいます。僕の親は両方とも昭和生まれで、ぼくにもギリギリ昭和の教育が入っていますが、僕がもし結婚して生れたこどもに同じ教育が出来るのか、といわれると自信がありません。今もスマホでこの記事を書いていますが、第三者的にみればぼくも、街で下を向いてスマホをいじっている人と大差ないのだと思います。だからこそ、スマホに依存したくないのです。僕の理想は今この瞬間、スマホが世界から無くなっても、なに不自由なく暮らしていけることです。例えば、音楽はCDをオーディオプレーヤーで聴いたり、映画はDVDをテレビで観たり、漫画も本で読めますし、調べたいことも本に大抵は書いてあるでしょう。そういうところにずっといたいなと思っています。しかしすごい機械だと思います。こどものうちからスマホをさわっているとどういう大人になるのか、僕も興味があります。大体新しいメディアが出る度に、〇〇依存と社会問題になりますね。僕のこどもの時は、ネット依存、ゲーム依存、スマホ依存、などがよく取り上げられていたと思います。社会の防衛システムとして、というか社会を作っているのは、やはり20~60くらいの大人ですから、古い人間達から、新しい人間達に対する注意喚起なんだと思います。しかし、便利ですね。江戸時代の人間がみれば、仰天するだろうと思います。この小さい箱で、写真、動画、メール、電話あらゆることが出来る訳ですから。僕も使っていて、なぜ出来るのかわからないことだらけです。

ロックマンゼロシリーズが好きです。本当にこのデザインは世界に通用するレベルだと思います。